Hisashi Miura Early Essays Part 5 (1979年)

21.スペースインベーダーは日本の若者たちの新しい宗教、神になった
22. 幸福であるために人は幸福を追い求める必要なんかない
23. 子供たちは遊びに夢中になっている時、幸せであるかどうかなんて考えはしない
24. アダムとイヴは禁断の木の実を食べ、イチジクの葉で前を隠した
25. アメリカ人の陽気さの根底には癒しがたい孤独感が横たわっているようだ
三浦 久

アルバイトニュースより


21.スペースインベーダーは日本の若者たちの新しい宗教、神になった (1979年5月10日)
 日本中スペースインベーダーに侵略されたようだ。先日、大阪の町を歩いていて少し疲れたので喫茶店に入った。
 すべてのテーブルがスペースインベーダーのテーブルだった。仕方なしにそのひとつに腰をおろした。昼休み中だったので、店の中はほとんど満員で、どのテーブルでも若い人たちが夢中になってゲームをしていた。
 コーヒーを飲みながら本を読もうと思ったが落ちつかない。シンセサイザー風の鳥の鳴き声のような音が聞こえてくるし、時には歓声が上がる。4人がすわれるテーブルに、ゲームをせずに、ひとりですわっているのも気が引ける。ドアの方を見ると何人かの人たちが店が満員なのを見て出て行く。
 コーヒーもそこそこに立ち上がり、これが噂のインベーダーかと思いながら、店を出た。このゲームに凝りはじめると1万円ぐらいすぐに使ってしまうらしい。店も方としてはコーヒー一杯よりもゲームをやってもらう方がもうかるわけである。ある週刊誌によると、若者ばかりでなく中年のサラリーマンの中にも昼休みになると百円玉をにぎりしめて喫茶店へ走る人もいるらしい。
 「とにかく面白いから」と何回か勧められたが、まだ1度もやったことがない。これだけブームになると意地でもやりたくないという偏屈な気持ちがあることも確かだが、他にしたいことが沢山あって、する気になれないというのが正直なところだ。
 空しいと言えば、この世の中で空しくないものなんてありはしない。何をやっても空しい気持ちを味わうけれど、何時間も機械の前にすわり、百円玉を入れつづける行為ほど空しいものはないような気がする。
 野球や競馬がそうであるように、スペースインベーダーは今、日本の若者の新しい宗教、神になった。スペースインベーダーの流行は、巨大な空虚が人々の心を侵略してしまったからだとしか考えられない。

22. 幸福であるために人は幸福を追い求める必要なんかない (1979年6月14日)
 誰でも程度の差こそあれ、精神的にアップの時とダウンの時があるに違いない。ぼくはその差が大きくて、ダウンの時は、もがけばもがくほど落ち込んで、もう決して上にはあがれないと思う時がある。
 特に春先はひどい。多分、5月病と呼ばれるものは、激しい受験競争を通過してきた者ばかりでなく、多かれ少なかれ誰でもかかるものに違いない。春になると、太陽の光が強くなり、開放感あふれる外の環境に心がついて行けない。そんな時は、他人はみんな幸せに見え、自分だけがこの広い世界の中で惨めな存在に思えてくる。他人は追い求めてきたものを獲得しているように見えるが、自分は鼻の先にぶらさがっているにんじんを追いかけているように思う。
 今から10年前、サンタバーバラに住んでいた時、これ以上ダウンにはなれないというくらいに落ち込んだことがある。ぼくは少し考えてみようと思い、野宿するつもりで寝袋を持って山にのぼった。大きな木の下にすわり、四弘誓願をとなえた。しばらくそうしていると、それまで全く静かだった山に風が吹きはじめ、全山が恐ろしいほどの音をたてて鳴った。
 その時、風にゆれる木々のざわめきの中に、「その分別を捨てて、ただ生きて行きなさい」という声を聞いたような気がした。苦悩は去り、その晩、月明かりをたよりに山をおりた。
 ダウンになったときは、そのままにしておいて、あまりもがかない方がいいようだ。もがけばもがくほど落ち込む。今、ダウンの状態で悩んでいる人に、ラジネーシの次の言葉を送ろう。
幸福であるためには
人は幸福を追い求める必要なんてない
ときには人はそれを忘れなくてはいけない
幸福であるためには人は時として不幸も楽しまねばならない
それもまた生の一部であり、ビューティフルなものだ
 結局は、アップもダウンもないのかもしれない。リチャード・ファリーニアは「あまりにもダウンの状態に長くいたので、アップのように思える」という本を書いて死んだ。

23. 子供たちは遊びに夢中になっている時、幸せであるかどうかなんて考えはしない (1979年7月5日)
 子供たちが公園で遊んでいる。ブランコに乗っている者、すべり台ですべっている者、砂場でトンネルを掘っている者、鬼ごっこをしている者。沢山の子供たちがいろんな遊びに夢中になっている。彼らはなんていつも生き生きとしているのだろう。ケンカしたり、泣いたりもする。しかし、その時でさえ、彼らは一生懸命だ。
 最近問題になっている難民のキャンプの写真が新聞に載っていたが、その写真の中でも子供たちは、親たちの深いしわのある苦悩に満ちた顔とは対照的に、笑顔を見せながら遊んでいた。多分、人類の歴史を通してずっと、子供たちは大人たちをなぐさめ、生きる勇気を与えつづけてきたのに違いない。
 自分の子供時代を振り返ってみても、ほんとに貧しい生活だったのに、なんて豊かだったのだろう。なんて幸せだったのだろう。リルケが「もしあなたからすべての物が奪い取られ、牢獄に入れられたとしても、あなたには幼年時代の思い出という宝物があるではないか」と言う時、彼はそのことを言っているのに違いない。
 子供たちは、遊びの天才だ。おもちゃがなければ、ビンのふたでも、棒切れでもなんでもおもちゃにしてしまう。彼らの想像力はすべてのものを現実から引き離し、おとぎの世界のものにしてしまう。それどころか、現実に実在しないものまで想像し、架空の怪獣や妖精や友だちとたわむれる。
 子供たちは、遊びに夢中になっている時、幸せであるかどうかなんて考えはしない。そこに彼らの幸せの秘密がある。幸せというものはいつも過去形でしか感じられない。大人たちはいつも現在形の幸せを求めてしまう。自分が今幸せだと感じた瞬間、もう幸せは逃げてしまう。大人たちは子供たちが羨ましくて、熱中できる遊びを考え出すが、いつも空しさと淋しさしか残らない。
 テレビや塾や公害や、子供たちの生活をおびやかすものが今の世の中にはあふれている。いつまでも子供たちが子供で要られる世の中であって欲しい。それは大人なの責任である。

24. アダムとイヴは禁断の木の実を食べ、イチジクの葉で前を隠した (1979年7月19日)
 詩人ウォールト・ホイットマンの友人に、チャールズ・バックという心理学者がいる。あまり知られていないが、『宇宙的意識』(Cosmic Consciousness)という本を書いている。
 彼がこの本の中で言いたいことは、意識の進化ということだ。ダーウィンの進化論を意識に応用したのである。彼は人間の意識とは自意識だと言う。つまり、他人と自分を区別する意識、仏教的に言えば分別意識である。
 人間は何万年か前にこの意識を獲得した。そしてそのプロセスは、全体が突然に、同時に、その意識を獲得したのではなく、一人の、あるいは何人かのすぐれた人がまず獲得し、そして、いくつものいくつものジェネレーションを経て、3歳になれば誰でも持つような自意識になっていったのである。
 聖書はここのところを象徴的に語っている。エデンの園において、アダムとイヴは禁断の木の実を食べることによって知恵を持った。彼らは自分自身を初めて客観的に見ることができるようになり、裸の自分を恥ずかしく感じ、イチジクの葉で前を隠したのである。
 映画『2001年宇宙の旅』では、一匹の猿がが、けものとの戦いの中で、近くにあった骨のかけらをつかみ、それを武器として使った時が、人類の始まりであった。
 人間の意識が、動物の単純な意識から自意識に進化したというだけでなく、バックはさらに、この対立をまねく自意識から、人類の意識は、大きな調和を生み出す「宇宙的意識」に進化しているという仮説を立てる。もうそのような意識を持った人たちが現れている。釈迦であり、キリストであり、ラマクリシュナのような人たちがそうだと彼は言う。そして人類が自意識を獲得するプロセスが長い時間を必要としたように、宇宙的意識への進化も長い時間がかかるだろうが、確実にその方向へ向かっていると言う。
 この本が書かれたのは19世紀の終りだ。20世紀の終りにさしかかっている現在、彼の仮説がどの程度真実なのかわからない。時には、人類の意識は、進化どころか、悪い方向へ進んでいるのではないかと思わざるをえない。それでもバックの仮説は21世紀に対していくらかの希望を与えてくれる。 

25. アメリカ人の陽気さの根底には癒しがたい孤独感が横たわっているようだ (1979年7月30日)
 ロサンゼルスの近くにフラートンという町がある。この町に高校時代に1年間お世話になったミセス・ハーヴィーが住んでいる。ミスター・ハーヴィーが亡くなった後、彼女はサンタローザからこの町に移り住んだのである。
 今年の夏、サンタバーバラにしばらく滞在したのだが、その帰り、10何年ぶりに彼女に会いに行った。髪の毛に少し白いものがまじっていることを除いては、彼女は昔と変わらず、快活で、よくしゃべった。
 彼女に会ってから、暗くなりかけたフラートンの町を後にして、アナハイムにあるホテルへむかった。その途中のフリーウエイで、ぼくは突然にアメリカの孤独というものを感じた。アメリカの孤独なんて言うと大袈裟に響くかもしれないが、薄暗闇の中に点在する家を見て、本当にそう感じたのである。
 その時思った。アメリカの家は、外敵から身を守るための城塞なのだと。敵が人間であれ、動物であれ、自然環境であれ、家は外界をシャットアウトし、我が身を守るためのものなのだ。だから窓は小さいか、大きくても開けることはできない。外が暑くても寒くても、家の中は快適な温度に保たれる。
 日本の家は、雨戸を開け、障子を開けたら、外と内の区別がなくなってしまう。夏には裏からトンボが家の中に入り、表から出て行く。秋には月の光がさし込む。冬には雨戸を閉めても冷気はすき間から入り込む。縁側にすわって外を見ていると、内にいるのか外にいるのかわからない。
 アメリカの家の内部は、そこに住む人たちがそれぞれのベッドルームを持ち、ドアを閉めれば完全に独りになれる。一人一人がそれぞれの城塞を持ち、互いに向かい合っている。徹底した個人主義だ。そこには確かに日本の社会にはないメリットもあるだろう。しかしぼくがそこに感じるものはアメリカ人の孤独である。彼らの陽気さの根底には癒しがたい孤独感が横たわっているようだ。
 日本の家や、生活様式は益々アメリカ的になりつつある。この趨勢を変えることは不可能だろう。しかし、日本に帰ってくるといつも感じる潤いの感じだけは失わないで欲しいと心から願う。


Essays index