Hisashi Miura Early Essays Part 3 (1978年-1979年)

11. テレビのない生活は実に気分のいいものである
12. クリスマスの想い出
13. 聖なる時
14. あなたに平和があるように
15. あなたが変わることなしに社会が変わるはずがない
三浦 久

アルバイトニュースより


11. テレビのない生活は実に気分のいいものである (1978年12月1日)
 ある英会話の教科書にテレビについてのダイアログがあった。
 Aは、テレビは常習性のある麻薬のようなものであり、友だちを訪ねても話しもせずテレビばかり見ているのだから、社会生活を破壊しつつあると主張する。Bは、いや、プロ野球のようなくだらない話をしているよりも、テレビを見た方がよっぽどためになる。人間には意志の力があるのだから、価値ある番組を選んで見るべきだ、と反論する。するとAは、プロ野球のどこが悪い、プロ野球は素晴らしいスポーツだ、と切り返す。
 Aの言い分にも一理あるし、Bの言うことも正しい。しかし、実際には、ほとんどの人がテレビを通して野球を見るわけだから五十歩百歩というところだ。
 ぼくは今年の1月、引っ越しを機に、テレビを押入にいれてしまった。このテレビは2年ほど前に、突然、大相撲を見たくなって買ったものである。それまではテレビを持ったこともないし、続けて見たこともなかった。
 ところがテレビを買ってから、相撲や野球はもちろんのこと、興味のなかったメロドラマや深夜映画まで見るようになり、しばしば番組終了のお知らせまで見ていたものだ。
 テレビを思い切って押入に入れてしまった時、淋しくなるかなと思ったが。テレビを見たいという気さえおこらなかった。相撲や野球にしても、どっちが勝とうが気にならなくなった。野球が好きだからテレビを見るのではなく、テレビを見るから野球が好きになるのではないだろうか。
 もうひとつ言えることは、確かにテレビにはためになる番組もあるが、それらの番組を見終わった後、ほとんど何も残っていないということだ。
 だが、テレビに価値がないと言うつもりはない。田舎にひとりで住んでいる母は、テレビがあるから淋しくはないと言っている。テレビを必要としている人は多いだろう。しかしぼくにとって、今のところ、テレビのない生活は実に気分のいいものである。

12.  クリスマスの想い出 (1978年12月15日)
 クリスマスの季節になるといつも子供の頃のクリスマスを想い出す。もちろんサンタクロースの存在を信じていた頃のことだ。朝、目が覚めると枕元に、茶色の紙に包まれた板チョコ、凧、手袋と靴下、拾円札2枚等が置いてあった。とても嬉しかったものだ。
 今の子供たちには考えられないだろうが、チョコレートはそういつも食べることのできるものではなかった。年に数回しかもらえなかった。
 いつの頃からか。母が3人の子供たちの枕元にプレゼントを置いてくれるということがわかった。父が早く死に、貧しかった母の苦労が子供心にもわかっていたのだろう、嬉しいと同時に少し切なかった。
 もうひとつ印象に残っているクリスマスがある。それは1966年のクリスマスである。この年の9月にぼくは東京の大学を中退して、サンタバーバラへ渡った。お金のなかったぼくは、幸運にも、部屋代と食事代両方で1か月75ドルというとても安いインターナショナルホールに住むことができた。安いは安いのだがそれほど美しい建物ではなかった。アメリカ人10人、外国人10人がコミューンのような形で住んでいた。
 クリスマス休暇が来てもどこへ行くこともできなかった。手もとには30ドルぐらいしか残っていなかったのである。いろいろ苦労してようやくキャンパス・ブックストアーで働くことができた。
 クリスマスの日、インターナショナルホールには誰もいなかった。ぼくは仕事から帰って来て、暖炉の火をつけ、その火を見つめながらひとりでワインを飲んだ。ホームシックも手つだって、少し感傷的になり、暖炉の火が少しぼやけた。
 その後いろんな場所でクリスマスを迎えた。豪華なパーティーやディナーにも何度も行った。しかしそのどれもまったく印象に残っていない。ぼくのクリスマスの想い出は、茶色の紙に包まれた板チョコと、サンタバーバラの赤い暖炉の火である。涙なしに想い出すことはできない。

13.  聖なる時 (1979年1月8日)
 正月になると毎年感じるのだが、実際には昨日と何も変わっていないのに、とても新鮮な気持ちになって、見るもの聞くものすべてが新しく思われる。
 エリアーデの言葉を借りれば、正月はまさに「聖なる時」である。普段の時間とは質的に異なる時間で、この時間を通過することによって人はある種の再生を経験する。
 もし時間というものが、区切りのない一直線のもので、質的にも同じだったら、多分人はこの人生を生き抜くためには少々息切れしてしまうだろう。来る日も、来る日も無意味な時間の延長では、人は生きることに絶望してしまうかもしれない。
 しかし「聖なる時」であるはずの正月も最近はますます俗化し、他の時間と変わりなくなっていくようである。正月ばかりでなく、昔の人たちは、1年を5つの節に分けて、それぞれの節句を祝い、息災を祈った。そしてまたそれが生活のリズムになっていた。現在ではそれらの節句も、商業的な意味では少しは残されているが、各家庭ではそれほどの重要性は持っていないようである。
 生活はとても忙しく、昨日も今日も明日も同じように生きて行く。生活は合理化され、古い伝統や儀式は時代遅れなものとみなされて、徐々に忘れ去られてしまう。それでも現在は何らかの形で、それらのものが残されているが、核家族化の進行とと共に、次の世代、そして次の世代には、ほとんど継承されていかないだろう。
 以前には軽蔑していたのに、最近になって、死んだ祖母がおこなっていた種々の「儀式」が妙になつかしく感じられてきて、できたらぼくの生活の中にとり戻したいと考えている。年をとったと言えばそれまでだが、毎日を生きて行くことの他に、人生に何かとても深淵な意味があるわけではないということが、ある種の諦めとともに、ようやくわかってきたからだと思う。

14. あなたに平和があるように (1979年1月16日)
 学校を出てからは友だちといえるような人とのめぐりあいはとても少なくなったのだが、昨年はいろんな人たちと親しくなれたという点でなかなかよい年であった。
 四国に住む坂村真民という仏教詩人は「めぐりあい」という詩の中で次のように書いている。
人生は深い縁(えにし)の不思議な出会いだ
大いなる一人のひととのめぐりあいが
わたしをすっかり変えてしまった
暗いものが明るいものとなり
信ぜられなかったものが信ぜられるようになり
何もかもがわたしに呼びかけ
わたしとのつながりを持つ親しい存在となった
めぐりあいのふしぎに手をあわせよう
 本当にめぐりあいというものは不思議なものである。人は誰でも一生のうちにいくつかの運命的な出会いを持つのだろう。
 1967年の夏、ぼくはサンタバーバラに住んでいた。よく学校の近くにある「レッド・ライオン」という名の本屋へ行ったものだ。ある日いつものようにその本屋へ入って行くと、長髪でひげもじゃらの男がぼくをみつめているのである。少々恐かった。しばらくしてその男が近づいてきて言った。
「おまえは日本から来たのか」
「そうだ」と答えると、彼は次のようなことを言った。
「ぼくは2年ほどヨーロッパから中近東までヒッチハイクをしながら旅をした。どこへ行っても人々は親切だった。だからぼくは外国人にはできるだけ親切にしたいと思っている」
 その頃ぼくは失恋中で、悲しみのどん底にいた。彼は多分ぼくの苦悩を読みとるころができたのだろう。彼はニコラスという名前で、その本屋で働いていたのである。
 しばらく話をして別れる時彼は合掌して、少し頭を下げて「あなたに平和があるように(Peace to you!)」と言った。その一語で、不思議なことに、沈んでいたぼくの気持ちが急に明るくなった。ひとりの人間がこれほどまでに他人に影響を与えることができるということは驚きだった。後で道元の「愛語回天の力あることを学すべきなり」という言葉を学んだが、あの時のニコラスの言葉はまさにぼくにとって愛語そのものであった。
 今彼は何をしているのだろう。忘れられない人である。

15. あなたが変わることなしに社会が変わるはずがない (1979年2月1日)
 昨年の世界のニュースの中で最も衝撃的だったのは、ガイアナの「人民寺院」の集団自殺である。クールエイド(粉末ジュースのようなもの)で甘く味付けられた毒薬を容器からペーパーカップですくい取り、次々と喜んで死んで行ったのである。タイム誌の表紙の写真には、多分ひとつの家族であろう、ふたつの大人の死体の下に小さな子供の足が見えていた。あまりにも痛ましく目をおおわずにはいられなかった。
 最も物質的に発展したアメリカでこのことがおこったということは象徴的なことである。人々は素朴な信仰はもはや持つことができない。そして物質万能の社会の中で取り残された者は、いや、先頭を走っている者でさえもいつも大きな不安に取り巻かれているのである。アメリカでは実にさまざまな「宗教」が繁盛している。「人民寺院」もそのひとつである。そのこと自体は善でも悪でもない。プロ野球や競馬もある意味では、「宗教」の役割を果たしている。
 宗教の一面には確かにある集団が信仰の対象としての神や英雄の権威の下で安心を得るということはある。しかし、宗教のもうひとつの面にはあくまでも孤独な個人的な求道というものがある。釈迦は死ぬ時に弟子たちに「自らを燈として生きなさい」と教えているし、親鸞も「弟子一人も持たない」と言っている。
 サンタバーバラの近くにオハイという村がある。ここにクリシュナムールティというインドの宗教者が住んでいる。もう10年も前に彼を訪ねたことがある。結局彼には会うことができずに、村の人たちにお茶をご馳走になって帰ってきたのだが、彼の教えの根本は「社会というのはあなたと他人との関係なのだから、あなたが変わることなしに社会が変わるはずがない」ということであり、「キリストであれ、釈迦であれ、だれであれ、従うというところに宗教はない」ということである。彼は「私にも従ってはいけない」と言っている。
 信者を増やすことにやっきになっている「宗教」が多い中で、「私に従ってはいけない」という「宗教」だけが信用できるような気がする。 


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