追憶の60年代カリフォルニア =すべてはディランの歌から始まった= |
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三浦さんが長野ジャーナルより発信中のインターネット・エッセイ 「ぼくが出会った歌、ぼくが出会った人」 アメリカ篇が、 大幅な加筆訂正をほどこし、本になりました。 |
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著者は1963年から1年間、サンタローザの高校で、66年から69年の夏まで、カリフォルニア大学で学生生活を送った。 ボブ・ディランをはじめとするアメリカの歌の衝撃、禅やカウンターカルチャー、数々の大切な人との出会い。政治学を志した留学生は、宗教学に専攻を変え、歌を歌い始める。 現在、大学で教えながら、フォークシンガーの活動をつづける著者が、きたるべき社会への願いをこめて、60年代という意識のあり方を刻み込んだ自伝的エッセイ。 (表紙裏 紹介文より) |
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新著を前に すべてはディランから 「追憶の60年代カリフォルニア」三浦 久 |
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長野・諏訪湖に近い辰野町の秋の深まりは早い。体をきりりと引き締める冷気に乗って、アコースティックギターの音色が響く。フォークシンガーで英語の教授でもある三浦久さんが歌っている。 1970年代に京都のフォークシーンで活躍した三浦さんは、82年に故郷の辰野町に戻った。今は音楽と英語教育に携わる一方、ボブ・ディランやレナード・コーエン、ブルース・スプリングスティーンらの訳詞も手がける。その三浦さんが、かつて米国西海岸で暮らした体験を本書にまとめた。 63年の高校留学と、66年から69年までカリフォルニア大学で学んだ日々。「そこで出会った人々や歌の思い出を、ノスタルジーではなく、現代と未来への問い掛けのつもりで書きました」 60年代前半には繁栄と安定の香りを残していた米国だったが、「大学留学で再訪したカリフォルニアは、ベトナム反戦、カウンターカルチャーの激動のただ中でした」。政治学を志した三浦青年も、時代の激流の中で、仏教と禅への関心を深め、フォークソングを歌い始める。 ケネディ大統領暗殺の衝撃から書き出される本書は、各章ごとに当時流れていたポピュラーソングのタイトルが付され、三浦さんの実体験と曲の歌詞とメロディーが、読む人の心の中で共鳴していく。 若者文化の聖地ヘイト・アシュベリーで聴いたビートルズ、恋人が歌ったドノバン、「卒業」を上映する映画館で流れたサイモンとガーファンクル....。そして何より強烈だったのは、ボブ・ディランとの出会いだった。 「当時のラジオはビートルズ一辺倒だったけど、ある日、下宿の同居人がかけたレコードから、素朴なギターとハーモニカとだみ声が流れ、[今日のことは明日まで忘れさせてくれ]と歌っていた」名曲「ミスター・タンブリンマン」。「啓示とも言える衝撃を受けました」。ディランは「今も僕の神様」という。 「前回の来日公演のときは、ステージに突進して、サンキュー・ボビー ! と叫んでしまった」 この本で三浦さんは「60年代とは、時代の区分というよりも、意識のあり方だ」と強調する。 「初期の米国には、『独立自営』という生き方の流儀があったのに、20年代以後は、大量生産・大量消費こそ米国だということになった。でもやはり、モノの豊かさだけでは本当にハッピーにはなれないと自覚したのが60年代の意識だと思う。この問題は、現代から未来をも照射しているはずです」 今、7枚目のアルバム「ガビオタの海」の制作が進んでいる。本書に登場する懐かしい人々を歌った「サンタバーバラの夏」という曲も収録される。 (「追憶の60年代カリフォルニア」は平凡社新書、740円) みうら・ひさし 1945年千葉県生れ。長野県育ち。米カリフォルニア大卒。京大大学院修了。 京都精華大教員を経て、信州豊南女子短大教授。 訳書に「ボブ・ディラン/一粒の砂にさえも」、アルバム「メッセージ」など。 1999年10月31日(日) 京都新聞より (記事提供: 金魚さん) |
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