浜野サトル

 京都のライブハウス〈拾得〉は懐かしい店である。21年前の9月の半ば、僕はここでエリック・アンダースンを聴いた。そのときの模様はもはやおぼろげにしか記憶にないが、店のたたずまいだけは鮮明に覚えている。著名な店なので説明の必要はないかもしれないが、古い蔵を改造した店の中は周りの町並みから完全に独立していて、「心地よいシェルター」とでもいったおもむきがあった。
 今年で25回目を迎えた「七夕コンサート」は、この店の名物イベントである。といっても、僕は比較的最近になって三浦久や豊田勇造から話を聞くまでそのことを知らなかったし、京都とその近隣以外の地域ではほとんど話題になることもなく静かに続けられてきたというのが実情に近いだろう。
 ここ10数年は豊田勇造、東野ひとし、古川豪、そして三浦久という顔ぶれで開かれてきたこのコンサートは、当初は中山ラビを加えた5人によって、ベトナムの戦争孤児たちへの支援を目的に始められたという。それから長い歳月がたってベトナムはもちろん、アジアもアメリカも日本も大きく様変わりしたが、彼らの年に一度の祭りはやむことがなかった。
 実際には、その25年の間に、現在は歌手活動を停止中の中山ラビをはじめ、彼らの生活もまた変化を余儀なくされている。豊田勇造一人を除いて、現在では「専業歌手」はここにはいない。古川豪は薬局の店主らしいし、三浦久は短大で英語を教えている。それでいて、開演前、古川豪は少し上気したような表情で店内を走りまわっていたし、三浦久は風邪の熱をおして長野から来た。彼らのこのコンサートへのこだわりが、そのことからもわかる。そして、歌い手たちもしぶといが、どう見ても地味なシンガーたちである彼らに場を提供してきた拾得もまたしぶとい。そのしぶとさがどこから来るのかを確かめたくて、7月5日、僕はここまで来た。
 開演20分前の夕刻6時10分に店内に入ると、客席はすでに6割がた埋まっていた。残った空席が次々に埋まっていき、定刻を少し遅れて6時40分、4人の歌い手がステージに並んだ。このコンサートでは、毎年、ステージでくじ引きをして出演順を決めるのがならわしだそうで、すぐにその儀式が神妙な顔つきで行われる。トリをとった古川豪が「うわ、勇造のあとかあ」と悲鳴に近い声をあげた。トップは、遠目から見ても歩く姿に少し元気がない三浦久になった。
 やがて、ステージにひとり残った三浦久が最初の曲「セカンド・ウィンド」を歌い出す。この曲をライブで聴くのは3月29日の辰野以来だが、体調は相当によくないらしく、あのときに比べて声に張りがない。しかし、これは最近三浦久フリークと化している僕の個人的な比較の問題であって、客席にいる人たちにはむしろ肩の力を抜いた、落ち着いたパフォーマンスとして受け取られたのではないか。事実、淡々とした歌いぶりはむしろ歌の言葉を鮮明に浮き上がらせる効果を生んでいて、僕は知り尽くしているはずのこの歌をあらためてじっくりと味わった。
 「ミン・オン・トゥイーのバラード」をはさんで、彼の最初のアルバムのタイトル・ソングである「私は風の声を聞いた」が歌われた。ライブでははじめて聴く曲である。歌詞に般若心経(だと思うが、違うかもしれない)をとりこんだ一風変わった歌だが、サンスクリット語の音(おん)とギターのリズムがみごとにとけあって、不思議な魅力を発散する。続いて、最近の彼のテーマ・ソングである「あの果てしない大空へ」が残ったエネルギーをふり絞るように歌われて、三浦久の出番は終わった。無事に歌い終えてほっとしたような表情の彼に、客席からあたたかい拍手が降りそそいだ。
 ステージの主役は、サイド・ギターとアコーディオンを従えた東野ひとしに代わった。僕は、この人は観るもはじめて、聴くもはじめて、名前しか知らない。したがって、この夜歌われた4曲の曲名すらわからないが、語りかけるような歌いぶりに独特の個性が光る、ちょっと不思議なシンガーである。
 60年代のフォーク・シーンから出てきた人には珍しいヨーロッパ音楽への志向を合わせ持つ人であるらしく、曲の合間のしゃべりにはジョルジュ・ブラッサンスの名が出てくる。だからというわけでもないだろうが、居合わせた僕の配偶者は「ブラッサンスみたいで素敵だった」という。楽器の静かな響きにのせて水や空を幻想的に歌い込んだ曲は、僕にはむしろ石川セリが歌った武満徹のポップ・ソングに近いイメージが感じられ、興味をひかれた。今年、彼はアルバムの制作に入るという。完成したら、ぜひじっくりと聴いてみたい。
 これでコンサートはとりあえず前半が終了。と思ったら、ここでちょっとしたハプニングが起こった。古川豪がステージに出てきて、「素晴らしいゲストの登場」を告げた。その声に呼ばれて出てきたのは、中山ラビ。比較的静かだった客席から拍手と歓声がわき上がり、コンサートは一気に盛り上がった。
 もう15年も前に歌をやめてしまったという彼女の音楽には、僕自身はかつてはライブで2、3度、レコードではかなりの頻度ふれている。音楽は所詮聴き手の好き嫌いで左右される世界だから、彼女の歌が必ずしも僕の支持するものでなかったことを正直に言ってしまってもかまわないだろう。好きか嫌いかという以前に、彼女の歌にはとっかかりが見つけられなかった記憶がある。
 しかし、この夜、古川豪の娘さんからの借り物だというギターを手にして出てきた中山ラビの歌には、客席を圧倒するようなエネルギーがあった。そのことによって、この夜の彼女はまさしく光り輝いていた。久しぶりで歌う機会を得た興奮がそうさせたのかもしれない。あるいは、彼女の内側でくすぶり続けているシンガーとしての本能が、所を得て一気に爆発したのかもしれない。本当のところはわからないが、この夜の経験が彼女の再出発となることをを願わずにはいられないような、フレッシュな出会いだった。
 こういうハプニングのあとはやりにくいものと相場は決まっているが、続いて登場した豊田勇造がざわめきの残る客席をさらに盛り上げた。彼のファンにはおなじみの「大文字」を、というよりはその一部をなす「さあ、もういっぺん」というリフレインを中山ラビへの贈り物にしたのもつかの間、「サラ金ブルース」の軽妙にして批評精神をたっぷり含んだパフォーマンスでたちまちのうちにステージを彼独特の色に染め上げてしまう。
 古くから活動するフォーク・シンガーの中でも、彼は最も祭りの似合う男である。最後の1曲だけ若いギタリストをともなってしめくくった彼だが、ギターとハーモニカさえあれば彼は一人だけで充分に聴き手の感情を鼓舞することができる。いまや50歳に近くなったわれらが中年の星、豊田勇造に熱い拍手が巻き起こって、コンサートはそのピークに達した。
 最後は、やはり若いギタリストをともなって出てきた古川豪。僕自身は、この人の歌にも長い長いブランクがある。というより、どんな歌をうたう人だったのか、ほとんど覚えていない。だから、歌の言葉をひろい集めるような気分で集中して聴いた。そして、感動した。
 「原発反対なんてことを歌い手が口にするのはイージーだね」という意味のことをしゃべったあとで彼が歌ったのが、海を生活の場とする人間の視点で若狭湾をうたった歌。ラストのラストで歌われた、たぶんいまの彼が日々の生活を送っている場所なのだろう、たっぷりとしたユーモアをこめて商店街の日常を描写した作品を含めて、さりげない詞のうちに人間の喜怒哀楽が織り込まれた歌を聴きながら、この人の生活者としての年輪の確かさを感じた。
 やがて、出演者全員がステージで再度顔をそろえてこのイベントのテーマ・ソングとなっているらしい古川豪の作品がうたわれ、そのあとに三浦久を中心とする「グッドナイト・アイリーン」が続いて、七夕コンサートはその幕を閉じた。必ずしもこの夜の出演者全員の熱心な聴き手であるわけではない僕にできる報告はここまでだが、声も歌の内容も音の傾向もそれぞれに個性的な彼らに共通するものがもしあるとしたら、それは彼らがいずれも「歌を耕す」人たちであるということに尽きているのではないかと感じている。
 「耕す」とは、どういうことか。ここは、農民にたとえてみればわかりやすいだろう。例えば、一般には米作り農家と呼ばれる人たちは、その名称とはちがって、けっして「米を作る」とは言わない。彼らは「田をつくる」と言う。人間にできるのは田圃という受け皿を作ることでしかなく、恵みをもたらすのは自然という超越的なものだからである。
 同じように、この夜の出演者たちは、作品を形よく仕上げていくよりは、むしろ自分自身の内面を耕し続けること、それによって作品が自然に実るような条件を整えることに専心してきたかに見える。これはむろん歌のイメージからくる想像にすぎないが、そうでなければ時代や生活や自然を歌って本当に人を感動させることは難しいだろう。
 ここで、僕は不意にいまの音楽シーンを独占するポップスとの鮮やかすぎる対照に気づく。あえて例に挙げれば、小室哲哉の作る音楽は「工業製品の手法」でできている。工業製品、つまりは部品をどこからか調達し、まとめあげ、商品として売るにふさわしい結構を整える手法である。安室奈美恵や華原朋美といったシンガーだって、実際にはその部品の1つでしかあるまい。これに対して、七夕コンサートのシンガーたちは愚直なまでに手作りであることにこだわる。
 手作りであることが、ただそれだけで無条件に礼賛されるわけではない。しかし、手作りにこだわることで、彼らは自分自身が日々実際の生活の中で体験し見聞しつつあることに歌の水脈を発見し、自分で考え、工夫し、作品に実らせることによって匿名の聴き手たちとよりよく生きるために共有し合える何ものかをさぐり続ける。その試みは、やがてこの七夕コンサートのような場を通じてより若い歌い手たちに引き継がれ、新しい伝統を生み出していくだろう。 (97.7.8 楽/浜野)

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