アメリカにまつわる「夢」を歌い続けた男

三浦 久

ミュージック・マガジン社発行  レコードコレクターズ 1992年6月号
「ブルース・スプリングスティーン特集号」より


アメリカの世相を映し出すキーワード
 1903年にフォード・モーター・カンパニーが設立されて以来、車はアメリカ人にとってステイタス・シンボル以上の何かであった。広大な土地に住む彼らは、車がなければ翼をもぎとられた鳥同然である。車こそ自由と独立の象徴なのである。
 だからアメリカの若者が、飲酒が許可され選挙権が与えられる年齢より、免許証が取れる年齢になることの方が重要であると考えるのは当然である。彼らにとって車の運転を始めるということは、親から独立し、大人になることの最初の一歩を意味している。
 マーシャル・マクルーハンは「1920年代のサイレント映画を振り返ってみると、多くの画面に自動車と巡査が出てくるのを思い出す」と述べているが、『ボーン・イン・ザ・ USA』までのスプリングスティーンの歌に関しても同じことが言える。
 最初の2枚のアルバムにおいては、自らの無意識から噴出する衝動をとらえようと、マシーン・ガンのように言葉を吐き出しているが、彼自身その衝動を明確にとらえることができないでいるかのようだ。1枚目の1曲目から次のような言葉で始まる。
Madman drummers bummers and Indians in the summer with a teenage diplomat.
 このような翻訳家泣かせの表現を多用することで、確かにディランの「サブタレイニアン・ホームシック・ブルース」や「ライク・ア・ローリング・ストーン」のような雰囲気を作り出すことに成功しているが、ディランほどに言葉使いがタイトでないゆえに、少々散漫になり、明確なイメージが伝わってこない。
 彼の世界が、彼自身にも、そして我々聴く側にとっても明確になるのは、3枚目『ボーン・トゥ・ラン』になってからである。彼の出世作となったこのアルバムによって、我々は彼の歌の主人公たちが、なぜ夜毎に暴走するのか、なぜそうせざるをえないかを知ることができる。
 このアルバムがリリースされたのは建国二百年祭の前年1975年である。このアルバムになって初めて、"アメリカの夢""約束の地"という言葉が登場する。 
昼、つかむことのできないアメリカの夢のストリートで汗水たらして働き
夜、自殺マシーンに乗り、栄光の館を走り抜ける 「ボーン・トゥ・ラン」

さあ、俺の手をとれ
今夜一緒に、約束の地を下見しに行くんだ 「サンダー・ロード」 
 彼の歌の主人公たちは、建国二百年祭のアメリカを陽のアメリカとすれば、陰のアメリカに住む、アメリカの夢に裏切られ続けながらも、アメリカの夢への信仰を捨てられずにいる若者たちである。彼らは、昼は汗水たらして働き、夜は車を飛ばし、″約束の地″へ到達することを夢みている。「サンダー・ロード」の最後の2行、 
町は負け犬でいっぱい
俺たちは勝つためにここから走り抜ける
 4枚目『ダークネス・オン・ジ・エッジ・オブ・タウン』に関してもほぼ同じことが言える。「プロミスト・ランド」の中で彼は、 
吹きとばせ、おまえを打ちのめすすべての嘘を
俺は約束の地を信じている
と歌う。
 ところが5枚目『ザ・リヴァー』になると少し様子が変わってくる。タイトル曲の中の主人公は、職を失い、自分にとって大切だと思っていたものすべてが消えてしまった状況の中で 
かなえられない夢は偽りなのか 
と問う。このアルバムから伝わってくるのはアメリカの夢の終焉である。何台もの車が墓石のように地面に突き刺さっているイナー・スリーヴの写真は、まさにアメリカの夢の終焉を象徴しているかのようだ。
 その雰囲気がさらに明確になるのは、6枚目『ネブラスカ』で、「ジョニー・99」の冒頭の
その月おそくマーワーでは
フォードの工揚がつぶれた
は極めて象徴的である。
 このアルバムには、理由もなく殺人を犯した犯罪者を扱った歌がいくつか収められている。それまでも、彼の歌は主としてブルーカラーの若者の荒っぽい世界(ケンカや暴走やロマンス)を扱ってきたが、犯罪者を直接歌ったのは『ザ・リヴァー』の「ジャクソン・ケイジ」が最初である。そして『ネブラスカ』に至ってこの種の歌が大半を占めたのである。
 このアルバムから感じとれるのは、歌詞からもその沈んだ投げやりな歌い方からも、絶望、出口なしの絶望である。このアルバムの最後の曲「リーズン・トゥ・ビリーヴ」で彼は、
辛い一日の終り
なぜ人はまだ信じる理由を見出すことができるのだろう
と歌っている。
 サイゴン陥落からほぼ10年後に出た7枚目『ボーン・イン・ザ・USA』も、かなえられなかったアメリカの夢が歌われ、絶望感に満ちている。アルバム・タイトル曲は、ベトナム戦争から戻ってきた男の苦悩の10年を歌ったものである。
 しかし、このアルバムには『ネブラスカ』の出口なしの暗さがない。その違いはおそらく「ノー・サレンダー」の中の
死守することを誓い合った嵐の夜の血を分けた兄弟たちよ
俺たちは決して退却しない、決して降伏しない」
という強い決意の中に、そして別れて行く友にむけて歌われる「ボビー・ジーン」の優しさの中に、そしてまた、出て行く前に、さびれた町を、昔父親にしてもらったように、自分の息子に見せている「マイ・ホームタウン」の冷めたまなざしの中にあるように思われる。
 このアルバムにも犯罪者を扱った歌があり、失業を歌った歌もいくつかある。離婚した女の歌、ベトナム戦争ベテランの歌もある。スプリングスティーンの歌はアメリカの世相を忠実に反映している。「学校よリ3分間のレコードから多くのことを学んだ」と彼は「ノー・サレンダー」の中で言っているが、我々は彼のレコードからアメリカの社会について極めて多くのことを学ぶことができる。
 このアルバムのいくつかの歌でも、車は重要な役割を演じているが、以前のように夜の闇をつんざいて暴走する若者は登場しない。彼も、彼の歌の主人公たちも年を取り、昔を振り返ることが多くなった。「グローリー・デイズ」がその典型である。しかしそれは当然のことだ。初期の荒けずりな言葉づかいが完全になくなったとは言えないが、イメージは明確になり、世界をそして自分自身を距離を置いて眺めている。
父親像に窺える内面の変化
 『ボーン・イン・ザ・USA』までのアルバムに見られる明白な主題はアメリカの夢と車であるが、もうひとつ重要な主題が隠されている。それはそれほど前面には出てこないが、スプリングスティーンの音楽が暴走し、一面的になるのを防いでいる抑制的な働きをしている主題である。
 それは彼の父親(あるいはアメリカ人の一般的父親像)とかかわるものである。この主題が表面に出たのは『ダークネス・オン・ジ・エッジ・オブ・タウン』の「アダム・レイズド・ア・ケイン」と「ファクトリー」からで、それ以後、あまり目立たないながら、どのアルバムにも必ず登湯する。
 これらの歌で歌われる父親は、労働者として報われることなく働き続けた父親であり、その苦労を息子は小さな時から見ながら成長した。そして父親のようになりたくない息子は、父親を否定し、独立しようとする。そしてそのことに対して罪の意識を感じている。
 アメリカの歴史はその始まりから、権威に対する抵抗、対抗の歴史であった。加藤秀俊は「二世は一世を否定し、親を否定することによって初めて『アメリカ人』に近づくことができる」と述べているが、世界の各地から様々な理由で、アメリカの夢を求めて移住して来た人たちは、自分たちが、国を捨て、権威を否定してきたように、自分たちもまた否定される存在であることを認めなければならなかった。理想的な″アメリカの夢″″アメリカ人″は常に未来に存在していた。
 特に60年代のアメリカは、公民権運動、ベトナム反戦運動、それにフェミニズムを始め様々なマイノリティの運動が起こり、既成の道徳や権威を否定しょうとした。
 ディランはそのヴァンガードのひとりで、「時代は変わる」の中で、
国中の母親や父親たちよ
理解できないことを批判しないでくれ
あんたの息子や娘たちはもう思い通りになりはしない
と歌った。
 そのディランが、1991年のグラミー賞ライフタイム・アチーヴメント・アウォードの授賞式のあいさつで、口ごもりながら、「昔、親父がこんなことを言ってた。両親に見捨てられたとしても、神さまは決してお見捨てにならない・・・」というようなことを言った。それがディラン一流の照れ隠しの表現だとしても、彼が自分の父親にこのような形で言及することは希有なことだ。
 ディランのこの発言はさておくとして、今アメリカでは、映画『フィールド・オブ・ドリームズ』に見られるように、「父親との和解」ということがひとつのキーワードであるように思われる。それは、"Don't trust anybody over thirty."を合い言葉に親たちの世界を否定した60年代の若者たちが年を取ったからなのか、あるいはアメリカ社会が本質的に変化したからなのだろうか。
 『ボーン・イン・ザ・USA』以後のスプリングスティーンの作品に関しても、その変化は明らかだ。1987年にリリースされた 『トンネル・オブ・ラヴ』の「ウォーク・ライク・ア・マン」は、それまでの父親に対する歌とは違い、父親への感謝と思いやりにあふれている。
 また、『トンネル・オブ・ラヴ』は、多くの作品で、彼の最初の結婚生活の苦悩に言及しているように思われるが、今度リリースされた『ヒューマン・タッチ』と『ラッキー・タウン』はその内容において、その延長線上にある。『ヒューマン・タッチ』によって、彼の苦悩がどのようなものであったかが明らかにされる。ふたりの間に嫉妬、疑惑、幻滅が入り込んだのである。
 彼は、アメリカの夢を求めながらも、裏切られ続けた若者の世界を歌ってきたが、自らは常に約束の地を信じてきた。そしてロック界においてアメリカの夢を実現したスターのひとりになった。しかし、このアルバムから感じられる限り、それは彼が目指した約束の地ではなかった。それは「誰がミンストレルの少年の魂を救うためにコインを投げてやるんだろう」と歌うディランの 「ミンストレル・ボーイ」に共通する世界だ。そこには何が欠けていたのか。答えは明らかだ。「人間のぬくもり(ヒューマン・タッチ)」が欠けていたのである。だから彼は
わずかばかりの人間のぬくもり
そう、わずかでいい、人間のぬくもりが欲しい
と歌うのである。
 『ラッキー・タウン』の1曲目から、我々は彼が新しい世界へ抜け出たことを知らされる。「俺は地獄から抜け出し、天国へ近づいているような気がする」と彼は歌う。彼は人間のぬくもりのある女性と出会い、再び傷つけられることを恐れながら、信じて跳ぶ。彼はその愛の中で、「生まれ変わった」自分を感じる。
 「ブック・オブ・ドリームズ」はなんて美しい歌なんだろう。彼の多くのアルバムを訳してきたが、こんなに美しい歌は初めてだ。この歌の中にスプリングスティーンの優しさのすべてが集約されている。 
今夜、ぼくは人生が与えてくれる
許しという酒を飲んでいる
と歌う彼は、彼の過去や欠点を含めてすべて許されている。ありのままの自分でいることが許されている。花嫁の前で気負う必要もない。一人前の男であることを証明する必要もない。「ぼくの夢の本の主人公になってくれないか」と問うまでもない。花嫁の父親に対する彼の目も実に温かい。
みなが笑い、君のお父さんは乾杯する
彼がいままで見た最も美しい花嫁に



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