三浦久、戸張孤雁のこころをうたう

(Rokuzan杜かげコンサート・パート2)
〜特別企画展「大正ロマンの煌き」によせて〜


2000年8月18日(金) 開場: 6:30 開演: 7:00 
場所:碌山美術館、本館北庭
整理券:500円
問合せ:碌山美術館 0263-82-2094、ふりーぱさん e-mail march@avis.ne.jp
曲目:サンタバーバラの夏、ガビオタの海、私は風の声を聞いた、松毬、他
主催:碌山クラブ 協力:碌山美術館

碌山美術館〒399-83 長野県南安曇郡穂高町大字穂高5095-1
JR 大糸線・穂高駅下車徒歩7分  長野自動車道・豊科インターから15分

「杜かげコンサート」は、「大正ロマン(理想主義)の煌き−戸張孤雁とその仲間たち−展」と題して、碌山美術館で7月27日(水)から8月27日(日)まで行われる特別展に合わせて行われるものです。
この特別展に関しては、碌山美術館のホームページをご覧下さい。
http://www.online.co.jp/museum/rokuzan/


戸張孤雁(とばり・こがん)と荻原碌山は明治35年にニューヨークで出会いました。二人とも若き画学生でした。碌山はその後パリに行き、ロダンと出会うことで彫刻に転じ、孤雁もまた碌山亡き後、碌山の遺志を継ぐかのように彫刻に転じました。また孤雁は「創作版画」の世界でも大きな影響を与えました。

「三浦久、戸張孤雁のこころをうたう」というタイトルはぼくには荷が重く、少々面映いものがありますが、ぼくとしては碌山の彫刻や彼の仲間たちの作品に囲まれて歌うことができるのは望外の喜びです。
ライブは、美術館閉館後に野外で行われますが、本館常設展示場は開放されるとのことです。また会場にはビール、ワイン、ウーロン茶等のドリンクコーナーも設けられるとのこと。これで500円は確かに安い!

なお、「杜かげコンサート・パート1」は、7月28日(金)に同じ場所、同じ時間に「大正ロマンを歌う」と題して行われます。マンドリン、ギターの伴奏に合わせ、合唱団が「早春譜」「宵待ち草」「この道」等の大正時代を代表する歌を歌います。

「三浦久、戸張弧雁のこころをうたう」

Rokuzan杜かげコンサートパート2「三浦久、戸張弧雁のこころをうたう」
(碌山クラブ主催)は18日夜、穂高町の碌山美術館本館前で開いた。三浦さんは、愛と美の追求に燃えた碌山の生涯を歌った「碌山」など、メッセージを込めた10数曲をトークを交えて歌い、集まった約150人と一緒に碌山や弧雁に思いをはせた。

三浦さんは上伊那郡辰野町在住で、ボブ・ディランなどの訳詞家、信州豊南短期大学教授、フォークシンガーとして幅広く活躍している。コンサートでは「ガビオタの海」、この日に合わせて作った「碌山」などのオリジナル曲や、ディランの「風に吹かれて」などを、ギターとハーモニカを奏でながら披露、観客と一緒に歌う場面もあった。三浦さんは「碌山や弧雁の境地には及びもつかないが、彼らの境地を知ってよかった。ここで歌えて光栄」などと話した。

コンサートは同館支援団体のクラブが、同館で開催中の「大正理想主義の煌(きら)めき―戸張弧雁とその仲間たち」に寄せて開いた。ツタの絡まるれんが造りの本館入り口をステージにした野外コンサートは、7月のパート1が雨天で会場変更となったため初めて。集まった人たちは「『碌山』は涙が出た」「何ともいえないいい雰囲気のコンサート」と感慨深げに話していた。

     松本「市民タイムス」(8月20日)より

碌山美術館は今まで何度か訪問したことがあります。彫刻が分かるわけではありませんし、荻原碌山についての知識もまったくありませんでしたが、来るたびにすがすがしい風が吹いていて、気持ちが洗われたり、元気づけられたりしました。特に「女」像からはいつもエネルギーが与えられたような気がします。

碌山美術館は訪問するところで、そこで歌うなんていうことは考えたこともありませんでした。今回、碌山クラブのみなさんのおかげで、はからずも、この「聖地」で歌うことができることになりました。「聖地ライブ」をお許しいただいた館長の柳沢先生をはじめ、ぼくの歌を碌山美術館で聞きたいと、とんでもないことを最初に言い出した垣内さん、日程等のことで何度もご連絡いただいた山下先生、それに、準備のために長い間ご尽力いただいた碌山クラブのみなさんに心より感謝申し上げます。

さて、お引き受けはしたものの、荻原碌山のことはもとより、戸張孤雁のことについてまったく知らないことに気がつきました。戸張孤雁のことを知らないで、どうして「戸張弧雁のこころ」を歌えようか。それで昔から得意だった一夜漬け、付け焼刃の勉強を始めたのです。

一夜漬け、付け焼刃の勉強を始めて驚きました。荻原碌山は何て魅力的な人物なんだろうか、「女」像制作の背後に秘められたストーリーはなんてドラマチックなのだろうか、と。その内にぼくの頭の中に、いくつものイメージが浮かび始め、最後にはそれらのイメージが勝手に順序を決めて、ひとつのストーリーになりました。そのようにして新しい歌が生れました。タイトルは「碌山」です。

「戸張弧雁のこころ」とは何かと考えました。それは碌山との関係で言えば、「アドミレイション」(admiration)ではないかと思います。碌山にたいする「賞賛、敬慕、憧れ」です。事実、彼は、碌山の死後、碌山の書いたもの、碌山についての新聞記事、それに碌山を知る者たちによる追悼文を集めて『彫刻真髄』を編みましたし、碌山の遺志を継ぐかのように彫刻に転じました。弧雁だけではありません。碌山の行くところどこでもアドマイヤラー(admirer 賞賛者)が現れました。

多くの賞賛者の一人は、エリザベス・フェアチャイルドです。彼女は、碌山がニューヨークで学僕として住みこんだ家の女主人です。彼女は、碌山の家族に宛てた手紙の中で、「私どもは、彼がずばぬけた芸術家になるであろうことや、またあなた方や、彼の熱愛するお国の誇りとなるであろうことを信じて疑いません」と書いています。また彼女は、碌山が亡くなった後、娘のサリーとともに、あの時代に、草深い安曇野を訪ね、碌山の墓前で彼の死を悼み、涙を流したと言われています。

ぼくが遅ればせながら、荻原碌山のアドマイヤラーの末席に連なることができたのは、ひとえに「杜かげコンサート」のおかげです。その幸運に感謝しないではいられません。

ぼくが一夜漬けの勉強の参考にした本は次の通りです。

荻原守衛著 『彫刻真髄』 碌山美術館
仁科 淳著  『碌山と信州の美術』 郷土出版社
「荻原守衛」読みもの委員会編 『愛と美に生きる』 碌山美術館 南安曇教育会
相馬黒光著 『黙移』 平凡社

     「碌山美術館ライブ」当日ちらしより

それは明治30年
安曇野の春のはじめ
彼は畦道に腰をおろし
常念岳をスケッチしていた

「こんにちわ」という声に振り向けば
微笑みかける美しい人
彼は思わず頬をそめた
胸の高鳴り押さえがたく

その人はその年、東京の
明治女学校を卒業して
安曇野へ嫁いだばかり
赤いパラソル、目にまぶしく

初めてその人に会った時から
彼はその人を思い続けた
しかしその思いは許されぬ思い
大きな苦しみの始まりだった

    「碌山」 (詞・曲 三浦久)より

update 30 Aug, 2000

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