「碌山」に想いを馳せて

須田晶子


若葉の緑が目に鮮やかな雨上がりの日曜日。「三浦久 碌山を歌う」と題したコンサートが開かれた市民タイムス安曇野支社山光ホールに、初めて足を運んだ。碌山、相馬愛蔵、良、井口喜源治。臼井吉見の『安曇野』を彩るこの明治の文化人たちも朝に夕に眺めたであろう常念岳は、あいにく頂きに雲がかかっていたが、その姿を望むすっきりしたホールの中は明るかった。

アメリカ留学されたという1960年代のご自分の青春時代を歌った「サンタバーバラの夏」「ガビオタの海」などを導入部に、三浦さんの優しく温かな歌声が流れる。抑えがたい情熱を数々の作品に昇華させ、30年の人生を駆け抜けた碌山の生涯を綴った「碌山」の一節が歌いだされると、良に初めて会い胸躍らせる少年守衛や、赤いパラソルをさし良が畦道を歩いていく姿が心に浮かび、時を越えて明治の安曇野の風景の中に身を置いているかのような不思議な感覚にとらわれた。

「女」の彫像を良の子供達が見たとたん「かあさんだ!」と声をあげたという切ないエピソードはあまりにも有名だが、純愛を貫いた偉大な芸術家の命の輝きが22連からなる歌の中に凝縮されていた。パリに渡り苦学して芸術の道を究めた碌山に、ご自分を投影して心惹かれるという三浦さんの思いが響いてくる。

「宝福寺にて」には私自身の忘れられない青春時代の思い出がよみがえり、「千の風」は亡き父を思い出して目頭が熱くなった。「父よ」「あの果てしない大空へ」など、家族への愛情あふれる歌も各所にちりばめられたコンサートの最後の曲は、碌山の人となりを築く礎となった研成義塾の創立者、井口喜源治の「次郎」。教育への高い理想と故郷への想いが淡々と述べられている七五調の詩が三浦さん作曲の静かな調べにのって、安曇野の澄んだ空気の中にゆったりとたゆたい、溶けていった。

余韻に浸りながらホールを出ると、歌声に誘われたかのように常念岳にかかった雲も晴れ、安曇野は初夏の柔らかな陽光に包まれていた。心地よい2時間余のコンサートであった。

update 11 Jun, 2005

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