「三浦久年末ライブ2003」を聞いて

齋藤皓太


2003年も暮れが押し詰まった19日、吉祥寺の「マンダラ2」には今年も三浦さんの恒例の年末ライブを聴きに多くの人が訪れた。三浦さんの言によれば、「人生のさまざまなところで巡り合った」人々である。

今年は三浦さんにとってはお母さんの死という大きな出来事があった年で、このライブのテーマも「母」であった。

三浦さん自身はこの日のライブの出来についてはいろいろ後悔があったようだが、客観的にみて素晴らしい内容であったと思う。お母さんの死とそれに続く清水寺でのライブという大きな峠を2つも越えられたのだから、当然精神的な疲労は余程のものであったと察せられる。

その精神的な重さは、実は三浦さんの意図しない効果をこのライブに与えていたのではないか。ともかく重心が重いのである。聴きなれた曲でもはっとするほど違った印象で耳に届いてきた。ライブ終了後、「コードを低くしたのですか」とお伺いした程であったが、コードはいつも通りであったという。その重さは今年のテーマからすれば当然出てくるものであり、聴衆もしっかりと受け止めた筈である。曲を追って言及したい。
 
1曲目は「それぞれの道」。この曲にも死と母というモチーフが入っている。スタートからいつもよりはゆったりとした歌い方という印象。

2曲目は「碌山」。ここにも死は歌われている。しかし残された作品の永遠性がそれを救う。最後にもう一度「それは明治30年・・・」と若き日の碌山の姿が描写されるところに三浦さんの優しさを感じる。

3曲目は「父よ」。昨年の年末ライブのテーマが「父」であったが、お母さんの死を通して、再度お父さんにも向き合ったのであろう、淡々とした中にも思いの深さが感じられる。いつも以上にメロディの美しさを感じていたのは僕だけだろうか。

4曲目に直接お母さんへの思いと繋がる「紙ヒコーキ」が歌われる。この演奏もいつもよりはゆったりとしていた。

そして5曲目にお母さんの死を経て作られた「千の風」という新曲が披露された。この曲のモチーフとなった詩は作者不詳の英詩であるという。お母さんの死の前後からベランダに訪れては何かを訴えかけるように囀っていた鳥の姿がその詩と重なったとのことである。公的な場では初めての披露ということでリズムを崩され、三浦さん自身この失敗の影響でこの後もペースを崩したとのことであったが、訥々とリズムに苦しみながらも唄う姿は感動的であった。僕には初めて聞くこの演奏は染み入るように伝わってきた。演奏の失敗を超える心情が溢れていたのである。

6曲目には「山頭火/俺のいない町」が歌われた。何度も聞いたこのメドレーが本当に全く新しいバージョンと聞こえるほどに印象深いものだった。全体を通して言えるのだが、特にこの曲は今までよりずっと重い唄い方で、それが山頭火の解く術もない惑いを十分に表現させ、素晴らしい出来であった。途中お経の一部を珍しくも失念されたということであったが、それを差し引いてもあまりある演奏だった。             

7曲目も公式のライブでは初披露であろう「何もない青空」が歌われた。実はこの曲は僕のオリジナル曲であり、歌って頂けただけでも感激なのだが、三浦さんは十分にご自身のバージョンとして手の内に入れられたと思う。青空の下を進む葬列のイメージは今も三浦さんの胸に鮮烈なのであろう。ありがとうございました。ここで一旦休憩となる。

5分後にライブは再開となったが、正直言って聴衆の準備がまだされていないうちに始まってしまった。それは三浦さんの「千の風」に対する思いがそうさせたのだろう。先程の演奏に納得されなかったということで再度「千の風」が歌われる。成る程スムーズに歌われたこの歌は美しいものだった。

9曲目から旧知のギタリスト野間義男さんが伴奏として参加される。最初に「カムサハムニダ・イスヒョン」。ギターが2つになったことでリズムが際立つ。照明が効果を挙げていた。

10曲目からは聴衆参加の形で3曲。まずナナ・ムスクーリの「Over and Over」。センチメンタルな曲調が美しい。続いて「ゴンドラの唄」。お母さんが好きでよく歌われていた曲とのこと。懐かしいようなやるせないような気持ちになる。最後にお母さんの葬儀で、お坊さんたちも和して歌われたという「ふるさと」。場内大きなコーラスとなった。

13曲目には「アルー」が歌われた。この曲は僕の子供たちも好きで、今回早くからリクエストさせて頂いていた曲。鳥と人間との交流を超え、この曲は誰にでも辛くせつない、ある喪失感を思い出させる。この日の演奏も素晴らしかった。野間さんの流麗なギターが印象的。

14曲目に歌われたのは「新しい光迎えよう」。今回のコンサートのタイトルにもなっている曲だが、悲しみを乗り越えて新しい光を手に入れようという三浦さんのメッセージなのだと思う。

15曲目には「丁度よい」。やや重めの曲の中にあって味わい深いが軽妙なこの曲が歌われるのは多少の安心感をもたらす。自分のレパートリーに入れたいなとも思う。

16曲目、最後に「あの果てしない大空へ」が歌われた。会場には葬儀を機にニュージーランドから帰国中の次男の卓也君もいたが、この曲は彼の旅立ちの日に歌われた曲とのことである。立派に成長されて、最近には珍しい朴訥で味わい深い青年になっている。お父さんの歌をどのような気持ちで聞いたのだろう。今回同行した僕の友人は、「母」というテーマだけでもうるうるしていたが、最後のこの曲にもやがて旅立つだろう自分の息子へと思いは飛んで大感激していた。

聞いている人それぞれにテーマを投げかけてくれる、それが本物の歌である証拠なのだと思う。そういう意味で今回の年末ライブは、聴衆それぞれが「母」というテーマの他にも、何かを三浦さんの歌から得て帰途についたのではないだろうか。

とりあえず10年は続けようという思いで開いてきたというこの年末ライブ、是非来年以降も続けていってほしいものである。

●当日ちらし 

今年もこうしてみなさんにお会いすることができて、嬉しいです。この年末ライブは、清水国明氏のプロデュースで94年12月21日に1回目が開かれ今年で10回目になります。師走のお忙しい時期に時間を割いてお出かけ下さったことに心よりお礼申し上げます。

21世紀になればと期待して始まった新しい世紀ですが、9・11、アフガン侵攻、イラク戦争、それにともなう報復テロと、世界はますます混迷の度合いを深めています。日本においても経済不況は一向に改善の兆しがなく、自衛隊派遣も既成事実の如く推し進められようとしています。力のある者が正義であるという風潮がここに来て決定的になりつつあるようで、釈然としない思いを抱いています。

私の人生においても、この数年、大きな変化がありました。2001年は何人かの親しい人たちの死と出会い自分の生き方を修正する必要を感じ、2002年には専任の仕事を辞めました。そして、今年は6月にライブハウス・オーリアッドを再開しました。 

そして今年11月には母の死が訪れました。92歳でしたし、いずれはこの時が来ることを予期してはいたのですが、大きな衝撃を受けました。大きな衝撃といいましても決して否定的なものではありません。ある種の「感動」といったほうがより適切かもしれません。

母は、11月12日、92年の生涯を終え、永遠の命に帰っていきました。紅葉した裏山の唐松林が風に揺れる美しい日でした。母の一生は波乱万丈だったという人もいます。確かに多くの苦しみを経験しました。しかしまた同時に、幸せな人生だったといえるかもしれません。母はいつも明るく、愚痴をいうことはありませんでした。母は今、千の風、千の光となって見守っていてくれるような気がいたします。

今日は、私の「母の死」を語りながら歌わせていただきたいと思います。そして、みなさんのそれぞれの「お母さん」への想いと共鳴するところがあれいいなと思っています。

このライブのご案内を差し上げたところ、私の高校の先輩の小平さんから、「私の母との別れは20余年の昔ですが、生涯胸から消えることはないでしょう」というお便りをいただきました。そして、

  たわむれに母を背負いてそのあまり
  かろきに泣きて三歩あゆまず 

  鉦ならし信濃の国を往き往かば
  ありしながらの母見るらんか 


という石川啄木と窪田空穂の歌が添えられていました。

ヘルマン・ヘッセの母を想う美しい詩があります。おそらく、何年経っても、どんなに年をとっても、人にとって「母」の存在は忘れがたいものなのだと思います。



それはいつもの夢
カスタニエンの赤く燃えたち
庭一面に夏花の咲きみだれ
古びた家が寂しくたたずんでいる

その静かな庭のあたり
僕は母の腕に揺られたのだった
それから長いときが過ぎ、おそらくは
今はもうその庭も、家も木もあるまい

おそらくは、今はそこに野の道がかよい
犂や鍬がとおり過ぎてゆくことだろう
ふるさとも、庭も木も家も
残るのは僕の夢ばかり ( 島途健一訳 )

どうぞ最後までライブをお楽しみ下さい。一緒に歌っていただくコーナーもあります。どうぞご遠慮することなく、大きな声で歌って下さい。

●死について 

死ぬということは、風の中に裸で立ち、太陽の中にとけ込むということ以外の何であろうか。呼吸が止まるということは、休みなき潮の満ち引きから呼吸を自由にするということ以外の何であろうか。そうすることによって呼吸は肉体から立ちあがり、広がり、何ものにも妨げられることなく、神を探すことができる。

沈黙の川の水を飲む時、あなたがたはほんとうに歌い始める。山の頂上に辿りついたとき、あなたがたは登り始める。そして肉体が土に帰る時、その時こそ、あなたがたはほんとうに踊り始めるのである。
(K・ジブラーン『預言者』より、三浦久訳)


A THOUSAND WINDS

Do not stand at my grave and weep,
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow;
I am the diamond glints on snow,
I am the sunlight on ripened grain;
I am the gentle autumn's rain.

When you awake in the morning bush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet in circled flight.
I am the soft star that shines at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.(Author Unknown)


Over and Over

I never dared to reach for the moon
I never thought I'd know heaven so soon
I couldn't hope to say how I feel
The joy in my heart no words can reveal
Over and over I whisper your name
Over and over I kiss you again
I see the light of love in your eyes
Love is forever, no more good-byes

Now just a memory the tears that I cried
Now just a memory the sighs that I sighed
Dreams that I cherished all have come true
All my tomorrows I give to you
Over and over I whisper your name
Over and over I kiss you again
I see the light of love in your eyes
Love is forever, no more good-byes

Life's summer leaves may turn into gold
The love that we share will never grow old
Here in your arms no words far away
Here in your arms forever I'll stay
Over and over I whisper your name
Over and over I kiss you again
I see the light of love in your eyes
Love is forever, no more good-byes


ゴンドラの唄

いのち短し恋せよおとめ
朱き唇あせぬ間に
熱き血潮の冷えぬ間に
明日の月日のないものを

いのち短し恋せよおとめ
いざ手を取りて彼の舟に
いざ燃ゆる頬を君が頬に
ここには誰れも来ぬものを

いのち短し恋せよおとめ
波にただよう舟の様に
君が柔手を我が肩に
ここには人目ないものを

いのち短し恋せよおとめ
黒髪の色あせぬ間に
心の炎消えぬ間に
今日はふたたび来ぬものを


ふるさと

うさぎ追いしかの山
こぶな釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたきふるさと

いかにいます父母
つつがなしや友がき
雨に風につけても
思いいずるふるさと

志を果たして
いつの日にか帰らん
山は青きふるさと
水は清きふるさと

第10回三浦久年末ライブ in 東京
「新しい光を求めて」2003=
2003年12月19日(金)
出演:三浦久 with 野間義男
会場:MANDA-LA2  TEL 0422-42-1579 JR吉祥寺駅

update 25 Dec, 2003

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