「三浦久年末ライブ2001」を聞いて

佐々木和彦


コンサートにおける楽しみのひとつに、その晩アーティストによって演奏される曲順がある。聴衆は前もってアーティストによる曲目の説明を受ける場合を除き、最初の一音が生み落とされるまで、それがどの曲かを知る術がない。

三浦さんが20年以上にわたり翻訳されてきたブルース・スプリングスティーンは、長いツアーを通して2夜たりとも同じセットを繰り返さないという。しかもその晩のセットが彼のバンドである The E Street Band に伝えられるのが、開
演の直前だということは、ファンの間では幅広く知られている。深い層で大きな流れを保ちつつ、続けて演奏される曲が予想をあるいは期待を裏切られる際の驚きの振り幅が大きければ大きいほど聴衆は歓喜し、またアーティストはその反応に密かなカタルシスを得るのではないだろうか。そこには静かな独特の緊張感が宿る。

12月20日、東京吉祥寺のマンダラ2で行われた三浦さんのライブには、聴衆の一人としてその驚きとも安堵ともつかない喜びに浸ることができた。前半には、私が決してリアルタイムで聞くことができなかった京都時代の懐かしい歌。後半には、書き下ろされて間もない「カムサハムニダ、イ・スヒョン」を含む近年の佳曲。

三浦さんの京都時代を共有できなかった私にとって、前半の曲順を前もって予測することはもちろんありえなかった。「父よ」から「神は死んだ」そして「どっちでもよいのです」への流れに、何故か厳粛な気持ちになる。続いて歌われた「私信」でようやく心が和む。そして「それぞれの道」で日本の「今」に思いを馳せる。

あの晩のセットリストで私の予感を最も裏切ったのは、紛れもない「風に吹かれて」である。ギタリスト野間さんの登場と共に客席に照明が灯る。「ここで『風に吹かれて』を歌いましょう」という三浦さんの言葉に「なぜ?」と一瞬戸惑い、次の瞬間心が解放されるのを感じたことをよく覚えている。三浦さんの東京でのライブを聴かせてもらうのは7回目であったが、記憶をたどる限りセットの半ばで恒例の合唱がなされたのは初めてではなかっただろうか。9月11日の同時多発テロを経たことも併せ、これまでとはまったく異なる新鮮な響きがそこにはあった。

後半は、私も個人的に思いを寄せる歌が続く。幼い頃から両親に連れられて訪れた碌山美術館。その芸術家との再会を祝福してくれるかのような「碌山」。夭逝の彫刻家のあまりに短い人生に新たな息吹を吹き込んだこの歌は、彫刻「女」を見る機会に恵まれていない人の心をも打つ力がある。その後に続いた「カムサハムニダ、イ・スヒョン」、ネルソン・マンデラを迎える南アフリカを歌った「ヴィクター・マトム」にも共通しているが、最近の三浦さんの歌にはどこか希望が感じられる。「明日は遠い」かもしれないが、必ず明日は誰にも訪れることを高らかと謳っている。来春より新たな一歩を踏み出そうとしている三浦さんご自身の生きる姿勢が、そこには少なからず反映されているような気がする。いやもしかしたらその一歩を踏み出す勇気を与えたのは、これらの歌なのかも知れない。

最初に三浦さんが日本語訳をされているブルース・スプリングスティーンについて触れた。三浦さんの歌とスプリングスティーンの歌に共通する点があるだろうか。まったく異なるスタイルに私が感じるのは、2人の曲が硬派な、あるいは誤解を覚悟で言葉を選べば、「ハードボイルド」な視点に立って書かれているということである。それは聴衆に決して媚びることのない一貫した姿勢と言ってもいいかも知れない(スプリングスティーンに関していえば、賛否両論をもって迎えられた "American Skin" が最近のいい例であろう)。そんなことを再認識させてくれる曲が続いて歌われた。「門」、「山頭火」から「俺のいない町」のメドレー、そして三浦さんの原点ともいえる「私は風の声を聞いた」で幕を閉じる流れは、無情かつ無常な現実から眼を背けてはならないと私に訴えかけてきたのである。

三浦さんも触れていたが、歴史に大きな傷跡を残した9月11日を未だに当惑し受け入れられない私に、そして同じ気持ちで足を運ばれたであろう他の聴衆の皆さんに、ひとつの生きる契機と希望を提示してくれたコンサートだったんだということが、今ようやく実感として沸きつつある。新たな気持ちで2002年を迎えることができそうな自分に私自身少なからず安堵していることも、ここに感謝の気持ちを込めて付け加えたい。

● Setlist
1. 一通の手紙 
2. こおろぎが歌うように 
3. 父よ
4. 神は死んだ 
5. どっちでもよいのです 
6. 私信 
7. それぞれの道
8. 風に吹かれて(ここで野間さん登場) 
9. 碌山 
10. カムサハムニダ、イ・スヒョン 
11. 明日は遠く
12. ヴィクター・マトム
13. 門
14. 山頭火
15. 俺のいない町 
16. 私は風の声を聞いた



● 当日ちらし

今年もこうしてみなさんにお会いすることができて、とても嬉しいです。師走のお忙しい中、お越しくださりありがとうございました。清水国明氏のプロデュースで94年12月21日に第1回が開かれてから、この年末ライブも今年で8回目になります。正直なところそんなに長い時間が経ったのかというのが実感です。

昨年は、年末ライブが始まって以来初めて一人の弾き語りでしたが、今年はまた例年のように野間義男さんにギターのサポートをお願いすることにしました。ご存知の方も多いと思いますが、野間さんは今年亡くなった河島英五のバンドのリーダーとして長い間活動してきたギタリストです。

21世紀の幕開けは心を萎えさせる様々なニュースとともに始まりました―筋弛緩剤点滴混入事件、世田谷区一家4人殺人事件、米子市における新生児誘拐事件、さらに全国各地の「荒れる成人式」など。その後も、中国道手錠監禁致死事件、大阪池田小学校児童殺傷事件と前代未聞の事件が相次ぎました。

そして窮めつけは、9月11日のアメリカ同時多発テロと、その後の報復攻撃。世界がその表情を変えてしまったのではないかと思わせるほど衝撃的な出来事でした。終末ということばがリアリティをもって迫ってきました。今アメリカのタリバン攻撃は最終局面を迎えています。果たしてこのような形で決着がついたとしても、イスラエルとパレスチナの紛争の現状を考えれば、永続的な平和に繋がるか疑問の残るところです。

暗いニュースが多かった中、1月26日に新大久保駅で線路に落ちた人を助けようと飛び降りたふたりの男性のニュースは、悲しい結末ではありましたが、人間に対する信頼を回復させてくれた感動的なニュースでもありました。

個人的には、身近な何人かの友人や知人の死を経験しました。4月には京都時代、同じ事務所に所属していた河島英五が、そして5月には信州大学のぼくのクラスにいたミャンマーからの留学生ミン君が亡くなりました。ミン君から聞いた話をもとにできたのが「ミン・オン・トゥイーのバラード」です。ふたりとも肝臓疾患でした。

11月には、ビートルズのジョージ・ハリソンが亡くなりました。ジョージの逝去の知らせを受けてボブ・ディランは次のようなコメントを発表しています。
ジョージは巨人だった。見事なユーモアのセンス、深い智慧、精神性、そして常識と人類愛を兼ね備えた偉大な偉大な魂だった。彼は太陽であり、花であり、月であった。ぼくたちは彼のことを決して忘れないだろう。彼がいなくなった今、世界はとても空虚な場所に思われる。
ディランのジョージに対する慈しみと尊敬の気持ちが伝わってきます。ジョージは学校が嫌いでした。担任の先生も、彼は頭が悪いので、将来は肉体労働にしか向いていないだろうと通知表に記したほどです。しかし、14歳で音楽活動を始めてから、ほとんど学校には行かなかったものの、彼はその後の人生の中で、様々な体験を経て、深い洞察力と叡智を身につけました。彼の安らかな見事な死のニュースを聞いて、学ぶということは何だろう、学校とは一体何だろう、と考えさせられました。

いずれにしろ今年はぼくの回りで多くの人が死にました。そしてそのことがぼくに、死とは何か、生きるとは何かということをもう一度考えなおすきっかけを与えてくれたように思います。いい人生とは一体何だろうとよく思います。

2002年はもうそこまで来ています。新しい一歩を踏み出したいと思っています。みなさんの2002年が素晴らしい年でありますように。
(三浦 久)
=三浦久年末ライブ in 東京 2001=
日時:12月20日(火) 開演 7:30pm
出演:三浦久 with 野間義男
会場:MANDA-LA2  TEL 0422-42-1579 JR吉祥寺駅

update 29 Dec, 2001

Essays index