三浦さんの風と『碌山』

山下利昭


昨年の夏『碌山の杜陰・夕涼みコンサート』を吹き抜けた三浦さんの「風」が、新緑の『早春賦音楽祭』でまた薫る。その「風」は60年代にアメリカ・カリフォルニアの若人のあいだを吹き交った風であり、また青春時代の三浦さんが大きく吸い込んだ風でもあった。「ベトナム戦争」という国家の犯罪を目の当たりにしたアメリカの青年らが、国益や出世コースに疑問を投げかけ、もっと人間らしい生き方を探す「風」であった。「個人」という器に生命を吹き込む風であった。

三浦さんを安曇野に引き寄せた『碌山の杜陰コンサート』は、また新曲『碌山』のお披露目コンサートでもあった。荻原守衛(碌山)が三浦さんを引き寄せたともいえる。

近代という「春は名のみ」の、風のまだ冷たい明治の安曇野に生い育った荻原守衛が、三浦さんよりもはるか以前にアメリカに渡り、はるかに過酷な生活環境のもとで、しかし、アメリカの自由の風を吸い込み、やがて、究極のモットー"Love is art. Struggle is beauty"(愛は芸術なり。もだえは美なり)を遺した。守衛のこの精神の軌跡は、彼の作品に勝るとも劣らないほどに素晴らしい。欧米に留学した殆どの青年が、明治という時代を背景に、国家中枢の人材たろうと立身出世をその留学に賭けていたなかで、一個の人間として、「愛」を芸術精神に、「もだえ」を作品に昇華させてゆく守衛の精神は、彼らとは別の道を自分の足で歩いていたからである。国家主義とはまったく無縁であり、独立した彼の軌跡は時代を超えていた。時代を超えた守衛の息吹が三浦さんに吹き寄せ、60年代のカリフォルニアの空気を呼吸した三浦さんがそれに感応した。『碌山』はそのようにして生まれたと思う。

『碌山』は、相馬黒光への道ならぬ「愛」がテーマになっている。口にすることさえ許されない守衛の「もだえ」が、日本近代彫刻の珠玉『女』に結晶したとすれば、その彫刻家の「愛」の息吹が、いま三浦さんの口髭をそよがせて、ギターに伴われて暖かく語られる。風薫る5月、明治という早春に立ちあがった安曇野の「風」は、いつか太平洋の向こうで交じりあい、いま新緑の安曇野にメロディーを加えて、同じ方向に吹いてゆく。



第16回安曇野早春賦音楽祭(2001年5月13日)のパンフレットより

update 13 Jun, 2001


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