「三浦久年末ライブ2000」を聞いて

上田達夫


荻原碌山、ライブの翌日にすぐ、親しい美術の先生にきいてみたら、資料集から「女」の写真を見せてくれました。ブロンズ・高さ99とあるので、実物はなかなかの迫力だろうなと思います。碌山美術館へぜひ行ってみたいです。

生涯「女」を思い続ける気持ちと、それがついに叶わぬものであるという運命が、碌山の計り知れないエネルギーの源泉であったということが、三浦さんの「碌山」ではよく歌われていますね。三浦さんが歌を歌い続けているのも、出会いそして別れてきた幾人もの人々(特に女性でしょう、やはり)とその時代への思いがエネルギーになっているんだろうなと、聞きながら考えていました。「ガビオタの海」は三浦さんにとっての「女」像ではないでしょうか?

「辰野安協ブルース」、そんなにまじめに聞かないでと三浦さんは言っていましたが、駅のアナウンスに代表される日本の介入社会、またそれを唯々諾々と受け入れるマニュアル待望・指示待ち日本人、その結果いつまでも育たないこの国の民主主義をユーモラスな中にも鋭く突いていると思います。笑って聞きとばすわけにはいかない歌ですよ。

例のアメリカ大統領選での手集計云々の騒ぎを、大方の日本人は「なんといいかげんな」という思いで見ていたのではないでしょうか。公職選挙法の中で選挙管理委員会がどういう風に位置づけられているか僕自身も勉強不足なんですが、一般的には「お上」の一種として信頼してしまっているということだと思います。選挙権という権利さえも上から与えられたもの…。そういう日本に比べて、なにからなにまで自治体ごとにわいわい話し合って決めていくアメリカの選挙は、本当に彼ら自身が作り上げている選挙なんだなあと、うらやましく思いました。

そんなこの国が閉塞状況にあるのは、誰の目にも明らかです。それを一番敏感に感じ取っているのが子どもたちなんでしょう。そして、その子どもたちをさらに追いつめ絶望させる場として学校が存在してしまっています。「それぞれの道」の孝一と勲も学校という場に触発されてヤッちゃんをいじめたのだと思います。ヤッちゃんへのいじめが始まった小学5年生あたり、その先の中学・高校が視野に入ってくるころが、日本の子どもたちの多くが無邪気な子供時代に別れを告げ、偏差値体制に組み込まれていく時期です。

いま「教育改革」とかで制度をいじることが、あちらこちらで行われています。私のいる神奈川県の学校でもいろいろなことが進められていますが、現場で見ていて、「ほとんどなにも変わらないだろうなあ」というのが正直な気持ちです。今の学校そのものが「山を削って一直線に進む高速道路」の無機質で覆われています。「土埃」や「曲がりくねった小道」「裏山」といった子どもたちが目を輝かせる本来の彼ら彼女らのフィールドを学校が削り取ってしまっているのです。

他人事みたいに学校を評論していてはいけませんね。僕自身がその学校を構成している一員なんですから。でも、教員を20年以上やってきて、やっとこのごろおもしろいと思えてきました。たとえば廊下で生徒とすれ違ったときにほんのちょっと交わすやりとり、そんなものに教員という仕事の最大の喜びを感じるようになってきたのです。高速道路の車の流れにうまく乗れないで立ちすくんでいる生徒たちと、同じ時代を生きる人間どうしとしての交流ができたら、それでいいと今は思っています。碌山のようなエネルギーで人と、生徒たちと出会えたなら…。

ライブの感想には似つかわしくないかもしれませんが、三浦さんの歌とお話を聞いてこんなことを感じたり考えたりしました。

● Setlist
1.それぞれの道
2.ミン・オン・トゥイーのバラード
3.碌山
4.明日は遠く
5.辰野安協ブルース
6.時代の変わる音が聞こえる
7.私は風の声を聞いた
8.門
(アンコール)
9.ガビオタの海
10. 風に吹かれて


● 当日ちらし
     
今年もまたこうしてみなさんにお会いすることができてとても嬉しいです。師走のお忙しい中、お越しくださりありがとうございました。清水国明のプロデュースで1994年12月21日に第1回が開かれてから、この年末ライブも今年が7回目になります。実に時の経つのは速いものですね。「光陰矢の如し」、"Time and tides wait for no man." とはよく言ったものです。

今回はギターの野間義男、バイオリンの中井一朗のサポートもなく、たった一人の年末ライブです。長野県では、各地で講演、コンサートを行なっていますが、基本的にぼく一人の弾き語りです。今回、東京でも思い切ってそのスタイルでやってみようと思いました。今までと少し雰囲気を変えてみたいと思ったのです。ライブというよりは講演会のような雰囲気になってしまうかもしれませんが、最後までおつきあい下さい。

今年も様々な出来事がありました。一向に改善される見込みのない不況、頻発する17歳をめぐる事件、幼児虐待、金銭問題の絡んだ殺人事件等、明るいニュースはありませんでした。但し、長野県は別です。10月15日、田中康夫さんが知事になり、新しい風が吹き始めました。今、長野県が面白いです。知事選中、「光は信州から全国へ」というキャッチコピーが生まれました。ちょっとそれは大袈裟としても、就任後わずか2か月、着々と成果をあげている田中さんを見ていると、本当に凄いなと思います。長野県が、そして日本が変わることを期待しないではいられません。

個人的には、荻原碌山との出会いが今年のハイライトでした。安曇野の碌山美術館でコンサートをしてほしいとの依頼を受け、8月18日に碌山美術館本館の入り口をステージに、「三浦久、戸張弧雁のこころを歌う」というコンサートが行なわれました。碌山美術館へは何回か行ったことはありましたが、碌山についても戸張弧雁についても何も知りませんでした。それで、付け焼刃の、一夜漬けの勉強のために、下記の4冊の本を読みました。明治のあの時代にこんな人がいたのかと驚きました。感動しました。そして「碌山」という歌ができました。もし皆さんが長野県へ行くことがありましたら、是非穂高町の碌山美術館を訪ねてみて下さい。

  ・荻原守衛著 『彫刻真髄』 碌山美術館
  ・仁科 淳著  『碌山と信州の美術』 郷土出版社
  ・「荻原守衛」読みもの委員会編 『愛と美に生きる』
    碌山美術館 南安曇教育会
  ・相馬黒光著 『黙移』 平凡社

昨年9月に平凡社新書の一冊として刊行された『追憶の60年代カリフォルニア』は、期待したほどの売れ行きではありませんでしたが、全国から様々な好意的な反応が寄せられました。昨年もそのいくつかを紹介しましたが、新たに届いたものをここにご紹介したいと思います。

*あなたの本のおかげで、60年代に青春を送った世代のことが少しわかりかけたような気がします。私は通信社の外信部記者としてケネディ暗殺のニュースを報道しましたし、ロバート・ケネディ暗殺のニュースはパリの五月革命の最中に知って衝撃を覚えました。69年にはサイゴン支局長として戦争報道の現場でアタフタとしていました。一回り先に生まれた世代なのです。俗に言う「ベトナム反戦世代」のことは、どうもわかりにくいと感じてきたのです。でもこの本のおかげで、この世代が必死に青春の日々を送ったんだ、若者は悩みながら正義を、生きがいを求めて懸命に生きていたんだ、わらわれの世代とは違うやり方で彼らも闘っていたんだな、というふうに理解できました。

*当時のアメリカの空気を、これほどわかりやすく伝えてくれた本に出会ったのは初めてでした。三浦さんのお名前はスプリングスティーンの訳詞で、知っていていました。訳詞にありがちな不明瞭なところがなくて、大好きです。今回の本でも、各章ごとにいろいろな歌詞の断片を引用されていて、何度も聴いてきた有名な曲なのに、ああ、この歌はそういう歌だったのかとはじめて知るものが多く、目からうろこでした。「ぼくはぼくなりのやり方で自由になろうとしたのだ」いいですね。僕がシンガーソングライターになったのも、きっとそういうことなんだと思います。それを表現する適切な言葉を与えてくださいました。

もしまだお読みになっていない方がおりましたら、読んでいただけたら嬉しいです。最後までライブをお楽しみ下さい。 -三浦 久
三浦久年末ライブ in 東京 2000
日時:12月19日(火) 開演: 7:30pm (6:30pm開場)
出演:三浦久
会場:マンダラ2 (ph:0422-42-1579) JR吉祥寺駅

update 20 Jan, 2001


Essays index