秋の夜長のフォークコンサート
         ― ピート・シーガー自伝『虹の民に送る歌』出版記念

出演:中川五郎 古川豪 三浦久

日時: 2000年10月7日(土) 6:30pm 開場、 7:00pm 開演
場所: ステラ  (tel: 0266-41-5256)辰野町宮木3丁目2852
    (伊那富橋から4軒目、辰野警察署から右へ3軒目)
チケット: 前売り2000円 当日2500円(emailで予約できます)
      email: sash-miura@swm.root.or.jp
プレイガイド: ステラ ほたる書房(辰野) 三澤珈琲店(伊那)

60年代の初めに、アメリカのフォークソングが日本に伝わり、キングストン・トリオ、ブラザーズ・フォー、PPM等の歌が聞かれたり歌われたりするようになりました。そしてやがて日本語で歌うフォークソングが一世を風靡することになります。特に関西では60年代後半、多くのソングライターが輩出し、「関西フォーク」という呼称が定着するほどになりました。

その時代から多くのコンサートをプロデュースし、フォークソングに関する本をいくつも翻訳してきた矢沢寛さんがこの度、ピート・シーガーの自伝、『虹の民に送る歌』(社会思想社)を出版されました。その出版を記念して日本各地でコンサートを開こうということになりました。辰野でも、中川五郎、古川豪、三浦久によるコンサートが開かれます。

アメリカは世界中から、様々な理由で、自由を求めて集まってきた人たちが作った国です。「アメリカには文化がない」と言う人もいますが、逆に考えれば、アメリカの文化は世界の様々な文化をすべて融合したものだと言うこともできます。アメリカのフォークソングも、様々な国の民謡からスタートして、フロンティアが広がるにつれて、ワークソング(鉄道線路を敷設しながら、あるいは炭坑や金鉱で働きながら歌われた歌)を中心に、アメリカの独自のものに進展してきました。

アメリカのフォークソングの世界で重要な役割を果たした人にレッドベリーとウディ・ガスリーがいます。彼らはともに20世紀の前半に、伝統的な民謡に影響されて多くの歌を書いたシンガーソングライターです。レッドベリーの代表作「グッドナイト・アイリーン」は1955年の夏に200万枚が売れ、60年代に続くフォークリバイバルの口火を切りましたし、ウディは「わが祖国」を初め多くの社会的な歌を書き、フォークリバイバルを担った60年代初めの多くのフォークシンガーに影響を与えました。

しかし、この二人の天才の仕事も、彼らの歌を当時から80歳の現在まで歌い続けているピート・シーガーがいなかったならば、これほどの影響を持つことはなかったでしょう。まさにピート・シーガーこそ、アメリカのフォークリバイバルの立役者であると言えます。

ピート・シーガーは、1939年にハーバード大学を中退してから、フォークソング研究家アラン・ロマックスの助手として、国会図書館の民謡資料室で、フォークソングの収集、整理の仕事をしていましたが、ある時、ウディ・ガスリーに誘われて一緒に旅に出ました。この旅が彼の運命を変えました。彼は次のように述べています。

「ウディから教わったことのなかで、最も貴重なものは、彼の正邪、善悪の意識、はっきりとものを言う率直さ、それに、世の中で一生懸命働いている人たちと自分を同一視する意識だった。」

この言葉は見事にウディの作品の本質をとらえているばかりではなく、ピート自身の作品や彼の生き方の背後にある信念をよく表しています。

当日は、3人がそれぞれ持ち歌を歌うばかりでなく、「花はどこへ行った」や「ウイ・シャル・オーバーカム」などのピートの歌を中心に聴衆のみなさんと一緒に歌うコーナーもあります。俺にも、私にも、一曲歌わせろという人がいましたら、飛び入りも歓迎です。とにかく、秋の夜長、みんなで歌い、語りあいましょう。訳者の矢沢寛さんも東京からかけつけてくれることになっています。

3人のプロフィール
中川五郎: 高石友也、岡林信康とともに60年代後半の関西フォークの教祖的存在。高石が歌ってヒットした「受験生ブルース」の作者。アメリカのフォークソングを日本に紹介した第一人者。「おいでよ僕のベッドに」「ミー・アンド・ボビー・マギー」等の日本語訳の歌は定評がある。70年代中頃からは、アメリカンポピュラーミュージックの評論家、訳詞家として活躍。最近は、チャールス・ブコウスキーの本の訳者として、また『渋谷公園通り』『ロメオ塾』等の自伝的小説でも知られる。東京在住。

古川 豪: 60年代後半から歌い続けている京都の筋金入りフォークシンガー。日本で最もピート・シーガーに影響を受けたシンガーであり、5弦ロングネック・バンジョーの奏法はピート・シーガーゆずりとの定評。70年代、URCレコードより『羅針盤で星占いはできない』等3枚のアルバムをリリース。昨年、ニューアルバム『なのりその森、ふうの街』をリリース。現在、商店街のことを歌わせたら彼の右に出る者はいない。京都在住。

三浦 久: 60年代、カリフォルニアでボブ・ディランの歌を聞き衝撃を受ける。70年代初め、京都で歌い始める。80年代初め、辰野町にもどり、しばらく活動を中止していたが、89年再開。90年代、『セカンド・ウインド』『メッセージ』『ガビオタの海』の3枚のアルバムをリリース。昨年9月『追憶の60年代カリフォルニア』(平凡社新書)出版。辰野町在住。

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