ガビオタの海 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Produced by Ichiro Nakai Recorded & Mixed by Hajimu Takeda at L & T Studio Mastered by Yoshikatsu Takatori at Sound Inn Illustration : emiko Art Director : Yoshie Yokoyama Production Coordinate : Izumi Wada, Haruyuki Hatasa (L&T Associates) Project Organizer : Tsuginori "Michael" Nakazawa |
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『追憶の60年代カリフォルニア』(平凡社新書)の中で、「日本へ帰ってやりたいと思っていたことはそのことなのだ。ぼくなりのやり方で自由になりたい、ということなのだ」とぼくは書いた。 今ぼくが、ぼくなりのやり方で自由であるかどうか分からない。ただ、アイラヴィスタの海辺でそう思った時からもう30年の歳月が流れたのに、今でもその願いに変わりはない。 振りかえって見れば、多くの出会いや別れがあった。多くの過ちを犯し、時には傷つき、時には傷つけて生きてきた。でも、すべての過ちや後悔を含めて、ぼくは今ここに生きている。ぼくがこの人生で出会ったすべての人に「ガビオタの海」のコーラスの部分を捧げたい。 あなたに平和がありますように あなたの願いがかないますように あなたが喜びに満たされますように あなたが自由でありますように 三浦 久(ライナーノーツより) |
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『ガビオタの海』と『追憶の60年代カリフォルニア』 三浦久本人による収録曲解説 |
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1.サンタバーバラの夏 この歌のコーラス(Charlotte, Elaine, Ingridand Jan/ Geraldine and Kay どうしているだろう)に登場する6人の女性のうち、4人が『追憶の60年代カリフォルニア』の中に登場します。また、この歌の歌詞は、19章「電線の上の一羽の鳥」の中で紹介しています。古川望のペダルスティ-ルギターの音がとてもきれいです。 2.ガビオタの海 アルバム・タイトル曲のこの歌は、18章と19章に登場するKay と行ったガビオタの海のことを思い出して書いた歌ですが、実際には、60年代後半サンタバーバラで会った多くの友人たちのことを年頭において書きました。「あなたはあの時代そのもので/ 土と草の香り漂わせていた」というところを書いた時は、本の後半で再三登場するジム・グリーンのことを思っていました。 3.花語らず この歌の詩は、60年代後半サンタバーバラでお会いした南禅寺管長柴山全慶老師が書かれたものです。69年にサンタバーバラでメロディーをつけ、当時よく歌っていました。その後、長い間、この歌のことを忘れていましたが、NAGANO JOURNAL 連載の「ぼくが出会った歌、ぼくが出会った人」のエッセイを書くために当時の日記を読みなおし、この歌の存在を知りました。柴山老師には本当にお世話になりました。 4.それぞれの道 この歌は、1997年の夏に、伊那市の保険所長さんに頼まれて、駒ヶ根市に住む若者にインタビューして書いたものです。同年、秋、駒ヶ根市の文化会館で開かれた長野県精神障害者の会で初めて歌いました。今、コンサートや講演会では、この歌に対する反響がとても多いです。 5.もう一度だけ 息子たちを励ますために書いたつもりですが、結局自分自身を励ますための歌のような気がします。ディランの「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」を少し意識しました。しかし内容的には、「もう一度だけ」の方が、聖書の「叩けよ、さらば開かれん」に近いように思います。 6.フリーウェイ101 この歌はもう20年ほど前、中井一郎と京都で出会った頃に、曲をつけてもらったものです。彼は音楽大学を卒業して、京都へ戻ってきたばかりでした。当時何回か彼と一緒にこの歌を演奏したことはありますが、89年にぼくが信州で活動を再開してからは、ぼくのレパートリーからは完全に抜け落ちていました。今度のアルバムで蘇えりました。このアルバムのために書かれた歌であるかの感があります。 7.ヴィクター・マトム マトム氏は南アフリカの写真家です。1997年の秋、彼が我が家に一晩泊まっていったことがあります。その時に彼から聞いた話をもとに書いた歌です。ぼくが住む辰野町にオリンパスの工場があります。マトム氏が写真を教えている南アの子供たちのために、オリンパスが古い小型のカメラを沢山寄付してくれました。電池を使わない古い型のカメラを彼は探していたのです。 8.私は風の声を聞いた サンタバーバラの山の上での体験をもとに、いかにこの歌ができたかは、17章に詳しく書きました。フォークシンガーとしてのぼくの原点とも言える作品ですが、なかなか難しい歌です。この歌には何度もチャレンジしましたが、満足できるものがなかなかできません。今回の録音は、奇才、種子田博邦のアレンジです。 9.BIRD ON THE WIRE これは19章に登場するレナード・コーエンの代表曲のひとつです。中井一郎から日本語訳で歌うようにと、最初指示されたのですが、エピローグを書くためにニューヨークとサンタバーバラへ行く必要があり、あまり時間がなく、メロディーに乗る日本語訳ができませんでした。そこで急きょ英語で歌ってしまえということになりました。日本語を理解しない友人たちのためには、英語の歌が1曲あるのはいいことかもしれません。 |
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『ガビオタの海』を聴いて by たっつぁん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三浦さんのアルバムのジャケットは、やはり三浦さんの顔でなければならないな、と改めて思う。こぎれいな風景とかポップなイラストでは、何かが違う、という気がするに違いない。 『ガビオタの海』を手にして、すぐに続けて3度ばかり聴いた。 「サンタバーバラの夏」 長野ジャーナルの「僕が出会った歌、僕が出会った人」のエッセイで、そして「追憶の60年代カリフォルニア」でお馴染みの人物が登場し、いきなり私自身が三浦少年の世界に入ってしまった。「必死だった、貧しかった、頼るものがなかった」というフレーズがそのままストレースに胸に響く。三浦少年ほどには必死でも、貧しくもなかった少年時代の私であるが、この歌を聴くと、鼻の奥が少しツンッとする。いままでのアルバムと異なり打ち込みのリズムだが、サウンドはどこまでも三浦サウンドである。 「ガビオタの海」 三浦さん達が通り過ぎてきた『あの時代』。私達世代は遅れて思春期を迎え、『あの時代』に憧憬と屈折した嫌悪を持つ者と、全くの無関心者と様々で、もう『世代』という言葉は死語となっていた。だけど、 あなたに平和がありますように あなたの願いが叶いますように あなたが喜びに満たされますように あなたが自由でありますように というリフレインを素直に聞ける年齢に自分がなったのだという感慨をおぼえる。それには三浦さんの作る歌が訥々とこちらの胸に語りかけてくる曲で、粉飾のない歌唱であるせいかもしれない。せわしない音楽ばかりが氾濫する今だから、なおさらそう感じるのかもしれない。 「花語らず」 とても短くて、美しい詩。バイオリンの音色がとってもいい。 「それぞれの道」 「純ちゃん」を聴いた時も、涙が流れたが、この曲を聴いて、胸が痛んだ。長男の通う中学のことを考えた。長男が中学2年の時、参観日に行ったら廊下はゴミだらけ、階段室の防火シャッターは下りており、電灯のスイッチはすべて壊れ、クラスの標識も折れてなくなっていた。その日、長男のクラスには3つか4つ空席があった。屋上から机が落ちてきたり、消火器が落ちてくるのだとも聞いた。この歌を沢山の人に聴いてもらいたいと思った。「純ちゃん」を聴いた時は、この歌を学校の先生に聴かせたいと思ったが、この歌は子供達のいじめる側にもいじめられる側にも聴いてもらいたいと思った。 「もう一度だけ」 今までの三浦さんの曲ではなかったアレンジで、面白い。アコーディオンとバイオリンのリフがとても印象的で、なじみやすく、前の曲の「それぞれの道」からの続き具合がよく、「諦めるな」という三浦さんの気持ちが伝わってくる。 「フリーウェイ101」 軽快なリズムで、ギターのストロークの音が心地よく、広大なアメリカを走ってる気になった。 「ヴィクター・マトム」 長野に住む三浦さんの視線が、グローバルに照射されているのがわかる。それも海の向こうの絵空事のようなニュースとしてでなく、辰野市の生活者としての三浦さんの ウマンデブルゾブーサ ウマンデブルゾブーサ ウマンデブルゾブーヤ ウマンデブルゾブーサ というリフが長い曲を退屈なものにせず(勿論、楽曲的なアレンジの巧みな効果もあるが)、広がりを与えている。 「私は風の音を聞いた」 実は、CDが届いてまず最初に聴きたかったのがこの曲である。もうこの歌の生まれた背景は三浦ファンならずとも、エッセイを読んだ人はとても印象深く記憶しているに違いない。お経をどのように歌にしているんだろうか、という素朴な、が、かなり強い疑問を持ちつづけていた。高校の頃よく友人宅の寺の本堂で寝泊りし、二日酔いで朝のお勤めに付き合ったことも何度もあり、その頃のことを思い出しながら聴いた。お経のみのイントロも違和感はない。 「BIRD ON THE WIRE」 レナードコーエンは三浦さんのエッセイでその存在をはじめて知った。レコード店でベスト版を買って聴いてみたが、コーエンの粘着質な声質のせいか、私の感受性がお粗末なせいか、いまひとつ心が動かなかった。まだ私的には聴く時期でなかったのかもしれない。三浦さんの声で歌われると、なんの違和感もない。 通して聴いてみると、三浦さんの歌、ギターとハープはいつものように静かに語りかけてくるが、サウンド的にはかなり違った味付けになっていて、これで新たにファン層が広がるのではと期待している。もっと沢山の人に三浦さんの歌を聴いてもらいたい。以上、個人的な感想を書き連ねてみました。 |
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プロデューサー中井一郎 プロフィール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
エレクトリックヴァイオリンの第一人者。5歳の時からヴァイオリンを始める。ロックフィーリング溢れるアドリヴと華麗なライヴパフォーマンスを信条としている。 1982年頃から萩原健一など、メジャーのツアー、レコーディングで仕事を始める。'85 佐藤 隆、 '86〜'88 高橋真梨子、'88 ギタ−の棚部陽一とのインストゥルメンタルデュオ「SPY」を結成、アルファレコードより三枚のアルバムをリリース。 また、元カシオペアの桜井哲夫、神保 彰で結成したバンド「JIMSAKU」のメンバ−としても活躍、月刊「アドリヴ」誌第11回読者人気投票、「その他の楽器部門」で第五位ランクイン。 プロデュ−サ−高橋研と出会い彼のプロデュ−ス作品(加藤いづみ、川村かおり、中村あゆみ等)に数多く参加。'91 X(JAPAN) VIOLENCE IN JEALOUSY TOURにゲストとして参加。若いミュージシャンとの交流も深める。 '93〜民謡歌手 伊藤多喜雄と出会う。co-producer. arranger.としても活躍。日本民謡とロックの融合を成し遂げユニークな活動を展開。'99 様々な音楽体験を生かしプロデュ−ス活動を中心に動き始める。三浦久7thアルバム「ガビオタの海」プロデュース |
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Keyboards & Computer Programming 種子田博邦 プロフィール |
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精緻なプログラミングとJazzを内包したキーボードプレイを信条とする。 20代を映像制作会社及びFM番組ディレクターとして過ごしたキャリアが、プロミュージシャンとしてのスタートを遅らせたものの音楽に対する独自の優れたバランス感覚を育んだ。 師と仰ぐピアニスト佐山雅弘氏の勧めにより ' 96年から日本が誇るニューエイジ民謡歌手伊藤多喜雄氏のプロジェクトにピアノ/キーボードで参加。96〜'99の全国ツアー、レコーディング、国際交流基金南米ツアー及び東京公演。 他の伴奏歴は 坂田明、中島啓子、森山良子、桑名晴子、伊太地山伝兵衛、小林エミ、他(敬称略)一方で劇伴、 CM、ジングル製作等を本来は得意としている。 尊敬するプレイヤーは佐山雅弘、トッドラングレン、アーマッドジャマル、マックスミドルトン、等。その昔、初代Macを真っ先に購入したAppleフリーク。 |
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Last update 5 Aug, 2011 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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